正しい恨みの晴らし方 | (本好きな)かめのあゆみ

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正しい恨みの晴らし方
ってちょっとショッキングなタイトルだと思わない?

でも
副題は
科学で読み解くネガティブ感情
ってことなのでなんだかおもしろそう。


筆者のひとりである中野信子さん
もテレビのクイズ番組で何度か観たことがあって
おもしろいひとだな
って思っていたのでそういうわけで読んでみた。

この本は2人の共著で
8つの章をそれぞれ4つずつ分担し
最後におふたりの対談の章をつけている。

心理学の視点からは
心理学者の澤田匡人さんが
脳科学の視点からは
脳科学者の中野信子さんが
それぞれ書いている。

恨み
っていうのと
妬み
嫉み
嫉妬
それからさらに
羨み
まで
これらの感情はそれぞれ別ものってわけじゃなくて
地続きというか
つながってる似た感情ってことらしい。

心理学的にも
脳科学的にも
共通してそういえるそうだ。

羨み
っていうのと
妬み嫉み
っていうのが似ているというのは
一瞬
あれ?
とは思うものの
よく考えれば思い当たる節もある。

実際のところ
この本を読んだからといってすぐに
誰かに対する恨みの感情が晴れるわけでもないのだが
そういうネガティブな感情が生まれるメカニズムを理解することによって
自分もちょっと楽になれるっていうのはよくわかる。

シャーデンフロイデ
っていうのは
傷がついた喜び
っていう意味のドイツ語らしいんだけど
他人の不幸は蜜の味
っていうのは
人間が社会を維持し生存競争に勝つために備わった機能だと考えると
単にネガティブな感情だからうしろめたい
というわけでもないし
さらにこのうしろめたい
という感情も
そのシャーデンフロイデを行き過ぎさせないための機能ってことで
なるほどそういうこともあるかもね
って思える。

ネガティブな感情がわきおこったときに
なぜ自分はそう感じているのか
そう感じることに合理的な理由があるのか
って問うてみると
案外自分でも変だなって思えたりして
無駄に負のエネルギーをためなくてもよくなるかもしれない。

まあそんな簡単にはいかないかもしれないけれども
実際にぼくなんかでも年齢を重ねるにつれて
だんだんと他人に対する嫉妬とか妬み嫉みとか
ましてや恨みなんて感情はわきにくくなっているから
経験を積むことによって
欲望とか感情をコントロールできるようになることで
そういうネガティブな負のエネルギーが
あんまりたまらなくなってきているような気がする。

まあそういうネガティブな感情は
逆に向上心に結び付くこともあるので
向上心がなくなってきているから
そういう感情がわかなくなってきた
って側面もあるんだろうけど。

あと
ドーパミンの話にはぼくはわりに興味があって
人間の行動なんてちっとも合理的でも崇高なものでもなくて
単純にドーパミンを分泌して気持ちよくなりたいだけ
っていうふうに感じるときもあるので
そういう話もおもしろかった。

自分でもしばしば
ああいまぼくはドーパミンの分泌を欲しているから
こういうことをしているんだな
って客観的に自分を観てるからね。

感情的でなく冷静で客観的な自分を寂しいと思うこともあるけど。

スマホでもアルコールでも
それから夜のおやつなんかでも
中毒的に習慣になっちゃってるようなことは
それがしたいというよりも
ドーパミンを分泌するためのスイッチとして
それらをしてるだけかもしれない。

ネガティブ感情の起こるメカニズムがわかれば
自分のことだけでなく
他人のネガティブ感情だって理解ができるかもしれない。

たとえば
やたらに攻撃的な上司や同僚それから顧客などに対しても。

ひとりよがりの正義感を背景にしたネガティブ感情っていうのも厄介だ。

ところで
最終章のおふたりの対談を読んでいて
中野信子さんがとても愛おしくなった。

東大卒の超エリートで
テレビでの言動も身も蓋もないくらいさばさばとして切れ味が鋭く
ある意味とっつきにくい感じもあったけれども
彼女が学生時代に成績を上げようと思った動機とか
脳科学の道に進んだ理由とか
そういうのを知ると
生きづらかったんだね
って抱きしめてあげたくなる。

それから
中野さんの脳科学に対しての視点も
他の脳科学者たちのような
脳を鍛えて可能性を広げましょう
みたいな立場をとらず
脳は進化の歴史が浅く他の内臓器官に劣るとか
脳の機能にはいきあたりばったりの不合理な部分が多いとか
そんなふうな感じでそういう捉え方にも共感する。




--正しい恨みの晴らし方--
中野信子
澤田匡人