NHKスペシャル
新・映像の世紀。
ぼくは
1995年放送の
映像の世紀
で人生観が変わるほどの衝撃を受けた
数多くの視聴者のなかのひとりである。
初めてあれを観たときは
ほんとうにショックが大きかった。
それまでいかに自分が何も知らなかったか。
学校ではなにひとつほんとうの世界について教えられていなかったんだなって。
人間はほんとうになんだってする。
何年か前の年末に
まとめて再放送していたのを
あらためて観たときも同じだった。
繰り返すが
人間はほんとうになんだってする。
ぼくにとってあの番組は
記憶に刻み込むべき番組となっていた。
それが
装いもあらたに
新・映像の世紀
として今年スタートした。
正直なところ
第1回の放送の時には
ナレーターはNHKのアナウンサーさんの方がいいな
とか
素材のセレクトになんらかの圧力がかかっているんじゃないかな
とか
少し消極的な
はっきり言えば
がっかりした
といってもいいような感想を抱いたのだが
2回3回と回を重ねるにつれて
やはり引き込まれていく。
いい。
第1次世界大戦で敗戦したドイツ。
多額の賠償金を背負わされる。
その賠償金も
政治的にはそれほど多額にしないという選択肢もあったにもかかわらず
戦勝国に投資したものを回収しようという米国の巨大資本の意志により
多額のものになったという。
そして活況を呈する米国経済。
賠償金の負担に喘ぐドイツ国民。
やがて
ヒトラーへの支持が拡大する。
そのヒトラーへの支持も
当初は他の政党がヒトラーを甘くみて利用しようとしていたことにより
拡大していったという。
ヒトラーが起こす経済政策がことごとくあたって
国民の生活が潤い
また
強硬な外交姿勢により
それまで抑圧されていた国民の自尊心が回復していく過程は
とても自然。
あとから思うとその自然な流れがどれほど恐ろしい結果を招くことか。
でもその渦中ではおそらく気づかないだろう。
あるいは
ちょっとまずいぞ
と思ってもまあもう少し様子をみようか
という程度で先送りしてしまうだろう。
短期的には合理的な選択の積み重ねが
長期的にはとんでもなくおぞましい結果を招いてしまうという歴史の経験。
ヒトラーが死の直前に秘書に語ったという言葉。
ナチズムは壊滅した。もう終わりだ。その思想は私と共に消滅する。だが100年後には新たな思想が生まれるだろう。宗教のように新たなナチズムが誕生するだろう。
戦慄を覚える。
人間は愚かだ。
歴史から学ばない。
目先の利益しか見えない。
現在はますますその傾向が強まっていると感じる。
日本もそうだが
世界的にもそうだ。
ちゃんと歴史を直視すれば防げるはずの同じ過ちを犯してしまうのは
思考せず
歴史を学ばず
目先の利益だけを求めるせいだ。
つまらない自尊心を満足させたがるせいだ。
対ドイツ戦争の終結直後
ユダヤ人の迫害の実態を目の当たりにした連合国は
その生々しく凄惨な現場をドイツ国民にも見学させる。
報道写真家のマーガレット・バーク=ホワイトが
その様子をこう記している。
女性は気を失い、男性は顔を背け、「知らなかったんだ」という声が人々から上がった。すると、解放された収容者たちは怒りをあらわにこう叫んだ。いいや、あなたたちは知っていた。
震える。
胸が詰まる。
そう
きっとドイツ国民はユダヤ人の迫害の実態を知っていた。
目先の利益を追うあまり目を背けていただけなのだ。
そしてわが身を振り返る。
ぼくたちはきっと言うだろう。
知らなかったんだ。騙されていたんだ。批判することなんてできなかったんだ。黙って従うしかなかったんだ。だってみんなそうしていたじゃないか。
NHKスペシャル
新・映像の世紀。
必見である。
ちなみに
元日にBS1で
映像の世紀 デジタルリマスター版
を一挙放送するらしい。
めでたい元日にそれを観る気力はぼくにはないだろうが。