あこがれ | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

第1章 ミス・アイスサンドイッチ
第2章 苺ジャムから苺をひけば

川上未映子さんのあたらしい小説を読むのは
2年ぶりになるかもしれない。

それはまさにこの作品の第1章に置かれている
“ミス・アイスサンドイッチ”
を新潮で読んだ時だ。

そしてその
“ミス・アイスサンドイッチ”
の2年後の物語としての
“苺ジャムから苺をひけば”
が第2章として据えられ
あわせてひとつの長編小説となっている。

ぼくにとってはもう川上未映子さんの作品は
どれをとってもしっくりきて
相性抜群なんだけど
だから純粋に小説として
どうおもしろいとか
どこがよかったとか
そういうことを考えられないようになってしまっている

ぼくにとってはそれでいいんだけど
ここに記事を残すにはそういうわけにもいかないので
なんとかひねり出してみるとこうなる。

小学4年生の少年が第1章の主人公で
その2年後の
小学6年生にはその少年のともだちの少女が主人公になっている。

小学生のころって
良い意味でも悪い意味でも家族がとても重要で
何かにつけてこころに影響を与えるんだけれども
そんな家族を中心にしながら
学校の同級生や近所のひとたちとの交流も欠かせない。

おとなになると
家族のかたちなんてほんとに1軒1軒違っていて
標準型の家族というものはどこにも存在しない
っていうことがわかるんだけど
子どものころには情報や経験が限定されているから
自分の家族はちょっとほかとは違っているかも
って不安になったりするもんだ。


みんな違っているからみんな不安になってるってわけ。

そんなこどもらしい不安がこの小説には描かれている。

かというとそういうわけでもない。

なんだかいろいろと事情を抱えながらも
それぞれにそれぞれなりに受け入れて暮らしているみたい。

その淡々としたようすに
いつもの川上未映子さんの作品とは異なる
物足りなさのようなものを感じつつ
でも本の装丁だってすごくかわいくて文字通りきらきらしているし
流行の風俗なんかもふんだんに採り入れられているし
もしかしたら今回の作品は
わかくてかわいい女性たちを読者のターゲットに据えているのかも
だからぼくなんかには物足りなく感じられてしまうのかも
なんて思いながら読み進みていた。

がそこはやはり川上未映子さんの作品。

終盤の終盤にきました。

きつい転換。

それまでの淡々さとのギャップのせいもあってか
嗚咽が止まらなくなり涙がとめどなく流れる。

ヘガティーならずとも
ぼくだってアオたちの言動に違和感を感じていたもの。

あまりにも理屈が勝ちすぎているような気がして。

でもこういうので
ヘガティーとお父さん
ヘガティーと麦くんとのつながりは深まるんだろうな。

ヘガティーのおとなへの一歩。

麦彦のおとなへの一歩。

おとながけっしてこどもよりも優れているなんて思わないけど
でも
おとなっていうのはけっこうすてきな生き物だったりもする。

ところで。

ぼく的には
アオと咲子さんのほんとうの気持ちみたいなものも
想像してしまう。

ぼくのなかではアオはけっこういいやつのような気がするのだ。

だから
アオがああいったことごとをいうにいたった心理にも
興味が湧くのである。





--あこがれ--
川上未映子