パウル・クレー だれにも ないしょ。 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

兵庫県立美術館で開催中の
“パウル・クレー だれにも ないしょ。”
を観に行ってきた。

兵庫県立美術館に来たのは初めて。

おどろくほど巨大な建築物だったので驚く。

エントランス付近やチケット売り場、3階の会場に入るまで
誰ともすれ違わなかったので
さすがに平日はすいているな
っていうかさすがにこんなにすいていて大丈夫か?
と思ったが
会場に入ってみるとそれなりにひとがいてびっくりした。

こんなにひとがいるのになぜ途中で出会わないのかな。

不思議。

ぼくの最近の展覧会の回り方はこう。

まずタイトルも解説も読まずひたすら絵だけを最後まで観る。

そこで第一印象の好きな作品を覚えておく。

最後まで観たら出口からは出ずに再び入口まで戻る。

ちょっと挙動不審な怪しいひとみたいになってしまうが
戻る途中で止められたことはないのでたぶんルール違反ではないのだろう。

2周目はゆっくりと解説なども読みながら観ていく。

展覧会は6章立て。

第1章 何のたとえ?

第2章 多声楽(ポリフォニー) 複数であること

第3章 デモーニッシュな童話劇

第4章 透明な迷路、解かれる格子

第5章 中間世界のこどもたち

第6章 愚か者の助力

特に気に入った作品は
第1章の“洋梨礼賛”
第2章の“赤のフーガ”“悲しみ”
第3章の“人形劇場”
第4章の“柵の中のワラジムシ”
第5章の“子どもの胸像”“彼女は吠え、僕らは遊ぶ”
第6章の“魔が憑く”

第5章と第6章は冒頭のテーマ解説が特に興味深く
読み込んでしまった。

特に第5章の中間世界のくだりなんかは特にぼくの好み。

カフカの名前なんかが出てきて
クレーとカフカの共通性を知り
うれしくなったりした。

ふたりは同時代人だから共通性があっても不思議ではないのだった。

今回は特に第4章と第5章のあいだの休憩コーナーにある
クレーの年表も隅々まで読んだが
バウハウスのことやナチスの影響のことも気になった。

特にナチスが開催していた
“退廃芸術展”
なるものにクレーの作品が展示されていたというのは
まあなるほどそういうことになるかもな
と感じた。

たしかにマッチョで健全な全体主義者からすると
クレーの作品なんかは都市生活者の病理みたいに捉えたくなるんだろう。

精神世界を突き詰めていくとこういうことになるとは思う。

ぼくとしては全員がクレーを理解するのもどうかと思うし
逆にクレーを否定するのもどうかと思う。

安易な表現だけれども
やっぱり多様性こそが生きやすさの基本のように思う。

そんなふうに精神世界を刺激した満足感を伴って美術館を出てみると
そこには海と青空が広がり
そしてヤノベケンジさんの巨大なモニュメント
“Sun Sister”
が堂々と立っていた。

なかなかいいね
兵庫県立美術館。