ずしーん。
重い。
ちっともハッピーではない小説なのに
400ページ越えをあっという間に読み終えた。
人間が愛に狂っていくさまを
中村文則さんが想像力を駆使して実験的に描いていく。
2つの事件が絡み合う謎解きの要素も興味深いが
もちろんただのミステリではなく
人間存在の不可思議を描いていて
繰り返しの読書に耐えうる作品だ。
読んでいてドストエフスキーの
“罪と罰”や“カラマーゾフの兄弟”を思い浮かべたが
それは決して似ているということではない。
似ているということではないが
罪と罰そして神について描こうとすると
どうしてもドストエフスキーにつながってしまうのは
仕方のないことだと思う。
罪と罰でいえば
この作品のなかである登場人物が考える内容に共感を覚える。
ぼくはつねづね
死刑や無期拘留なんて
重い罪に対する罰にはなっていないと思ってきた。
決して人道上の問題でいっているのではない。
それよりも
やはり絶望的な苦悩を永遠に与え続けるような罰がふさわしい。
ほんのささいな幸せでも感じかけたら
ただちにそれを失わせるような。
かといって最初から幸せのチャンスを与えないのではなく
チャンスを与えるだけは与え
そして一瞬幸せの予感を感じさせたうえでそれに打撃を加えるような。
こういう考え方は歪んでいるだろうか。
愛に狂っていく事件の関係者たち。
共依存。
愛するがゆえに突き放し束縛し復讐心を燃やす。
そんなものは愛じゃない。
感覚が麻痺してわけがわからなくなっている。
狂気。
おぞましいコミュニケーション。
それなのにどことなくうらやましさを感じるのはなぜだろう。
こんなにもひとを愛することができるということに?
生活のすべてを捧げてでもこんなふうに誰かを愛したい
と思うことがぼくにはあるだろうか。
いやどうせならもっと健康的に愛したい。
けれども健康的な愛ははたしてこれほどまでに魅惑的だろうか。
もしかしたらぼくは
愛に狂いたい欲望を常識という殻で抑え込んでいるだけなのかもしれない。
自分や相手だけでなく周囲をも破滅に導いていくような愛。
破滅するとわかっていても突き進まずにはいられない愛。
マウスによる快楽物質の実験のエピソードが印象的だ。
ぼくたちの愛なんて
しょせんは気持ちのいい物質を脳内に分泌させるためだけの手段に過ぎない。
誰かを愛するのもけっきょく自分が気持ちよくなりたいから。
こうしてぼくたちは今日も快楽物質分泌ボタンを押し続ける。
誰もが闇を抱えている。
あなたが消えた夜に。
消えたあなたとは誰?
--あなたが消えた夜に--
中村文則