わたしを離さないで | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

タイトルや作者の名前はこれまでに何度も目にしてきたが

ついぞ作品を手にとることはなかった。


原題は

Never Let Me Go.


たまたまこの作品の設定を知る機会があり

そこに興味を持ったのでようやく読んでみた。


こどもたちは何のために生まれてきたのか。


こどもたちはどのようにして生まれてきたのか。


そういう重要な設定をあらかじめ知りながら読んだ。


きっと序盤でそのあたりは明かされるであろうと勝手に思い込んでいたのだが

なかなかそのことには触れられなかったので少し焦った。


まさかその設定が結末に明かされるなんてことはないよな。


だとすると

犯人がわかっているのに読む推理小説みたいになってしまうぞ。


入念に序盤にちりばめられたさまざまなほのめかしもすぐに意味がわかってしまうので

もしかしたら読書のたのしみが減ったかもしれない。


設定を知らずに読んでいたら途中で設定が明らかになったときに

おおきな衝撃を受けることができたはずなのに。


その設定は100ページあたりでようやく出てくる。


意外にあっさりと。


知らずに読んでいたらうっかりと流してしまいそうなくらいに。


最後まで読んで思ったのだが

この作品は重要な設定ももちろん大事なんだけど

それ以上に人間関係の描写が魅力的なんだろう。


友情と愛情。


主人公のキャシーと

ともだちのルースとトミー。


ヘールシャムの生徒たち。


それから

エミリ先生

ルーシー先生。


マダム。


彼女たちの心理の機微。


親しいからこその憎しみや慈しみ。


濃いつながりだ。


そういうところを実にていねいにかつじゅうぶんに抑制を利かせながら描いているところがこの作品の魅力だと思う。


とはいえぼくがこの作品を読むきっかけになったのはやはり設定。


いくら科学技術が進んでも人間はこんなことはしない

これはやはり近未来に起こりそうで起こらない設定を思考実験的に取り込んだSFに過ぎない

というひとがいるかもしれないがぼくはそうは思わない。


技術力さえあれば人間は平然とこれくらいはする。


っていうか技術力とは無関係に倫理的に同じような問題は現在もすでに存在していて

人間は自分や家族のためになら倫理の壁は易々と越える。


自らに危険が及ばない限り社会もそれを許す。


むしろ積極的に奨励する。


ぼくたちは誰かあるいは何かを犠牲にしながらそのことを意識しないでいることができる。


だってそうしないと生きていけないんだから

って思い込みながら。


あえて読者の想像に任せる方法を選んだのかもしれないが

重要な設定についての倫理的な議論を作中で繰り広げ掘り下げてくれてたらもっと好きな作品だったかもしれない。





――わたしを離さないで――

カズオ・イシグロ

訳 土屋政雄