ぼくは基本的にはちょっと気どっているので
こういうのは読まないな
と思っていたのだが
ひょんなことから読むことになった。
普通におもしろかった。
なにごとも偏見をもってはいけないな。
たとえメディアの戦略だとしても
それはある程度実際におもしろいから売れるのであって
ちっともおもしろくなければいくらメディアが頑張っても売れないだろうから。
まあそれでも売っちゃうという
ちから技もなくはないだろうけど。
1979年生まれの田村さんが
中学生の頃の話だから
90年代初頭
バブルがはじけてすぐくらいのことだ。
なんだかんだいっても日本の社会保障は屋根のあるところで寝られるくらいには整備されていると思うんだけど
こういうこともあったのかもしれない。
社会保障の窓口に相談に行くという発想すらない場合もあるだろうからな。
この場合は特にこどもだったわけだし。
大学生のお兄ちゃんなんかはもうちょっと早く手を打っていてもよかったような気もするけど。
まあ無理かもな。
是枝裕和監督の“誰も知らない”を観たときに衝撃を受けたけども
社会保障を受けたら受けたで兄弟がばらばらになっちゃうとかそういう問題もあるしな。
率直にいって
2015年の日本でもあるのかもしれない。
いやむしろ増えてる?
なんらかの事情で家族ごと行方のわからなくなっているこどももかなりいる
という報道もあった。
経済の問題だけじゃなくって
社会の問題というか人間のこころの問題というか
そういう側面もあるよな。
自分はどうかっていうと決して胸を張れるわけじゃないけど。
ぼくはぼくで
自分のまわりのちいさな幸せを守ることで精いっぱいだ
って自分に納得させて現実から目を遠ざけているふしもある。
ほんとうはもっと何かやれるんだろうけど。
人間としてはだめなタイプなんだろうな。
この本ではまわりのおとなやともだちがよかった。
本人も楽観的である意味よかった。
ともだちの家で久しぶりに入ったお風呂のお湯に感激するところ。
わかる気がする。
お湯ってあったかいよねえ。
水だってそうだけどあたりまえに身の回りにあるものって
ちょっと状況が変わるだけで簡単にあたりまえじゃなくなるもんね。
ありがたみはすぐに忘れちゃうけど。
お父さんははっきりいってひどいけれども
ほんのちょっとわかる気もするというか同情してしまう部分もあるのは
人間なんて小さくて弱い生きものだってぼくが感じて生きているからかな。
特に男は弱っちい。
ふだんいばってるひととか強がっているひとなんか
一皮むけばあんがい脆いものだったりする。
恩師の手紙のところはすごくよかった。
いい先生。
家出のところなんて気持ちがわかる。
10キロ女の正体のところは笑えたけど
これがお姉ちゃんのやさしさなんだよな。
あまりにもよかったからついつい小池徹平くんの映画のDVDまで観ちゃったよ。
こっちもよかった。
――ホームレス中学生――
田村裕