夏目漱石的には
I love you.
は
月が綺麗ですね。
明治の頃なら漱石ならずとも
愛してる
なんて言わなかったんじゃないかな。
平成を生きるぼくにとっても
愛してる
っていうのは
(安い)J-POPとか(安い)小説とかそういうところでのみ使用される
専門用語みたいなものである。
非現実的言語。
先日なんとなくついていたテレビをみていたら
DAIGOさんが新橋の居酒屋さんで飲んでいるおじさんたちに家に電話してもらって
奥さん(配偶者とか妻とかパートナーとか言った方がいいのかもしれないけどこの場合はやはり奥さんがふさわしい気がする)に
おれ(ぼく)のことどう思う?
ってきいてもらうっていう企画をやっていた。
天然ものの
愛してる
ってことばを求めての企画だったみたいだったけど
実際に
愛してる
っていう奥さんがいてびっくりした。
いるんだ
って。
ああそうなのね実際に
愛してる
ってことばは世に流通しているのね
って。
しかもそれがぼくよりも上の年代のひとだったんでさらに驚き。
若いひとが言ってるんだったら
どうせおままごとでしょ
で済ませるところが
年季の入った男女のことばならそうも言ってられない。
深い。
沁みる。
とまあ現実に
愛してる
を目撃してしまったので(テレビだけど)
これからは
愛してる
っていうのは
(安い)J-POPとか(安い)小説とかそういうところでのみ使用される
専門用語みたいなものである
なんて言えなくなってしまった。
ぼくのまわりのカップルたちも
もしかしたら
愛してる
を使ってるのかもしれない。
ちょっとこのへんだと考えにくいけど。
にしてもぼくはやっぱり
愛してる
なんて言えないし
愛してる
って感覚もよくわからない。
好き
とか
大切
とか
一緒にいたい
とかそんな感じかな。
感覚としては
相手の痛みや喜びが自分のことのように感じられる
そんな自他の境が消え去るような関係。
それが
愛してる
の正体のような気がする。