線を引き直す | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ぼくは

白も黒も好きだけど

グレーが一番好き。


白と黒のようにはっきりしたものの魅力もいいんだけど

どっちつかずのグレーにより強い魅力を感じる。


グレーには幅があるのが理由かもしれない。


白と黒ということばでイメージする色は

ほぼ万人に共通だろうと思う(厳密にいえばバリエーションはあるのだろうが)けど

グレーということばでイメージする色は

ひとそれぞれ違うだろうっていうところがいい。


あなたの思い描くグレーは

どんなグレーですか?


この世界の魅力は

白と黒の境目のグレーの部分に象徴されると思う。


境目は幅が広い方がいい。


っていうか本来は幅が広いはず。


グラデーションで少しずつグレーの濃淡が変わっていくのだから。


最近

人間が引いた線について

意識させられる機会が多いような気がする。


ウクライナとロシアとか

イラクとシリアとイスラム国とか

イスラエルとパレスチナとか

スコットランドとイングランドとか。


最後のはちょっとパターンが違うけど。


もともと何も線などなかったところに

人間の営みの長い歴史のなかで

いつの間にか引かれた線。


それらはあたりまえに存在するもののように思ってしまうけれど

人間がつくったものであるからには

同じ人間が壊すこともできる。


線を巡って争うのが人間だ。


誰かが決めた線に納得できないから

だから線を引き直せ

って。


日本だって同じ。


隣国との間で線を巡って緊迫した駆け引きが行われる。


アメリカでは

自分たちが収めた税が貧困層のひとたちの住む地域にばかり配分され

自分たちの地域に恩恵をもたらさないという不満から

富裕層のひとたちが住む地域があたらしい市として独立する動きが増えているらしい。


実際に住民投票で富裕層の住む地域だけが既存の市から独立してあたらしい市となった例もあるという。


富裕層を失った既存の市は

財政的に立ちゆかなくなって

市民サービスが滞るようになっているらしい。


税による所得の再配分を嫌う富裕層。


彼らの言い分にも一理はあるのかもしれないが

愚痴るだけではなくて実際に独立してみせるところがアメリカらしい。


日本じゃちょっと実現しなさそうな発想だ。


と少し前なら思っただろうが

案外いまの日本の富裕層ならやっちゃうかもしれないとも思う。


でも

そんなことをしていると

短期的にはよくても長期的にはきっとおかしくなるような気がする。


そういえば

平成の大合併とかなんとかいいながら

市町村合併したところは

いまはどうなっているんだろう。


まあ

成功したってところも

そのままの方がよかったってところも

あるんだろうと思うけど。


井上ひさしさんの

“吉里吉里人”

を思い出す。


荒唐無稽な話だと思っていたけれど

現実味さえ帯びてきた。


21世紀の世界は

20世紀に引いた線を引き直しにかかっている。


ぼくたちだって無縁じゃない。