初めて読む中村文則さんの作品。
又吉直樹さんの“第2図書係補佐”というブック・ガイド的エッセイ集で又吉さんと中村さんとの対談を読んで興味を抱きつつも手に取ることなく今日に至る。
長編を多く出されているらしいが、これは短編集。
260ページくらいに発表時期の異なる13編の短篇が収められている。
最初の何篇かは、なんだこりゃ、という前衛的な作品で、ぼくはこういうの嫌いじゃないけど、っていうかむしろ好きだけど、売れる作品、っていうのとは違うなと思いながら読んだ。
技巧が優れている。
外国でも読まれていて、アメリカで賞も受けている作家さんなので、世界文学的な雰囲気も感じる。
ただ、日本の作家であるということは、世界文学としてはメリットなのかデメリットなのか、ぼくにとっては迫力というか説得力というか、何かしらの弱さが感じられた。
やはり世界文学っていうのでは、その作家の生まれ育った環境の特異性、たとえば紛争地域で育ったとか、厳格な宗教文化のなかで育ったとか、そういう背景が持つ特異性の中から普遍性を描き出すことがメリットにつながるような気がするが、日本で生まれ育つと、どうにも平板化されてしまうというか、圧倒的な重さに欠けるというか、世界文学になるために必要な何かが欠けるような気がしていた。
けれども読み進めながら考えてみると、少し前の日本ならそうだったかもしれないけれど、現在の日本は世界から見ても特異な環境であることを思い出す。
原発の問題しかり、集団的自衛権の問題しかり、いじめや貧困、格差の問題しかり。
そういうことが直接この短編集に描かれているわけではないけれども、ページをめくるにつれて、単なる技巧だけではない、普遍的な問いかけのようなものが感じられてくる。
前半にはナンセンスでシュールな作品が、中盤にはエロチックな作品が配され、慣れるまでには時間がかかるが少し我慢して読んでいけば、この短編集の魅力に触れることができるはずだ。
バラエティに富んだ13編。
“妖怪の村”
“三つのボール”
“A”
“B”
“二年前のこと”
なんかは特にぼくの好み。
“三つのボール”は、直接は関係ないけどカフカの“中年のひとり者ブルームフェルト”なんかもあわせて読みたい。
“A”とか“B”とかは、戦争を知らない若い作家が、現代的な感覚で、想像力をめぐらせてどこまでたどりつけるかに挑んでいるようで興味深い。
過剰に肯定も否定もせずに、あくまでも冷静に客観的に人間について追求していくこと。
偏ることは、たとえそれがどちら向きであっても、思考停止に陥った楽な甘えだ。
想像すればするほど、ますます実態から遠ざかるだけだとしても、目を逸らさずに。
ぼくは、この作品で描かれる心理には、納得性があると思う。
どちらの考えを持つひとにも読んでもらいたい。
これも直接は関係ないがサルトルの“壁”なんかとあわせて読みたい。
“二年前のこと”は、唯一私小説っぽい内容だけど、読ませる。
やるせない苦悩とどうしようもない決意とのあいだでもがく作家。
これもまた直接つながらないが志賀直哉の“城の崎にて”とあわせて読みたい。
変幻自在に作品を描く作家さんだ。
――A――
中村文則