25ページ程度のこの作品は、迫力の面では“穴”までではないが、作品の質としては、コンスタントにこの水準のものは書けるぞ、というのを証明しているように思う。
“ディスカス記”でも感じた、夫と妻の穏やかならぬ気配が、間接的にそこかしこに匂ってきて、けれどもそこに決定的な証拠のようなものはなくて、だから余計に不安定になる。
そういう意味では、小山田さんのこれらの作品での問題意識っていうのは、夫と妻、こどもを産むこと、産まないことの意味、っていうのがあるのかな、と思う。
40歳を過ぎて、こどもに恵まれない夫妻。
夫の友人が、若い妻を娶ったというので、夫妻で訪問する。
夫の友人が居を構えるのは、郊外の古い民家。
リフォームして暮らすが、いたちが次から次へと出て困るという。
小山田さんの作品に出てくるこれらの動物、謎の生命体も含めて、とても効果的に作品に影響を与えている。
田舎での人間関係の違和感も感じさせつつ、都会の生活の息苦しさも感じさせつつ。
終盤に、さりげなく重たい妻の幼いころのエピソードが挿入され、さらにラストでずーんと圧迫される。
よく読まないと見落とすような一文一文の意味が、とてもぼく好みの表現である。
――いたちなく――
小山田浩子