ブラを捨てよ、まちへ出よう | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ブラジャーって必要なの? って思う。


スタイルを整えるために必要、っていうのならわかる。


けれどもすべての女性がバスト周辺のスタイルにそんなに重きを置いているとも思わない。


ブラジャーなんてわずらわしい、って思っている女性も多いのではないか。


ウーマン・リブとかフェミニズムとかジェンダーの運動のなかで、しばしばノーブラ推奨のキャンペーンが張られることもある。


ほんとうは、わずらわしいブラジャーなんて着けたくないけれども、そうすると、チクビの位置が服の上からわかってしまい、男たちからエロい視線を受けることになって、それも鬱陶しい、って思っている女性もいるかもしれない。


そうだとすると、それは男の側に責任があることになる。


そもそもなぜ男はチクビに反応するのか。


それは少年時代からのメディアによる刷り込みの影響に相違ない。


アソコと違ってチクビなんて男も持っているわけだし、わざわざ女性のチクビに反応する必要なんてない。


豊かなバストに対する憧れならわかる。


それは男にはないものだから。


でもチクビってねえ。


チクビがバストという山の頂を象徴しているとでもいうのだろうか。


漠然としたバストというものについての目標物。


男は明確なターゲットを求める生きものだからね。


しかし、チクビにセクシャルな意味があるから男は過剰に反応し、したがって女性はチクビを隠さなければならない、とするならば、あらたな疑問が浮上する。


じゃあ、フクラハギはどうなるのか?


フトモモは、ヒザコゾウは、アシクビは、ニノウデはワキはウナジはサコツは隠さなくてもいいの?


ユビサキだってそう。


身体のあらゆる部位にはその道のフェティシズムを追求する者がいるのである。


そういう男たちの視線から逃れるためには、女性はすべてを包まなければならない。


あ、そういえばそういう服装があったような気がする。


それは、男を惑わせてはいけないとして、女性の側に制約を課すものである。


一方的である。


フェアではない。


むしろ男の側が、女性の身体の部位に対してエロい視線を注ぐことに制約を課されるべきである。


そのためには、エロい視線センサーのようなものを装着することを男に義務付け、うっかり女性に対してエロい視線を向けてしまうと、自らの身体に電流が流れるというようにすべきだ。


最初は、電流が流れ続けてしまうので外出恐怖症になってしまう男も出るかもしれないが、いずれ落ち着いてくるに違いない。


そうなると、女性は安心してノーブラでまちを闊歩できるようになるだろう。


なんなら全裸でだって大丈夫。


なぜなら男は女性に対して絶対にエロい視線は注がないのだから。