水を撒く人 | (本好きな)かめのあゆみ

(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

ホンジツハセイテンナリ。


こういう天気を五月晴れというのか。


辞書を調べると本来の五月晴れは梅雨の晴れ間のことをいうらしいが、誤用が定着して今日のような清々しい快晴も五月晴れといってもいいらしい。


イージーで陳腐な表現とみる向きもあるだろうが、五月晴れということばにはポップな明るさが感じられてぼくは嫌いではない。


365日のなかでこんなにいい天気は何日くらいあるのだろうか。


おそらく上位10パーセントに入る好天だろう。


それが休日と重なるのはさらにおよそ7分の2の確率で、したがって年に10日あるかないかの素晴らしい日曜日。


待ち時間ができたので、コンビニの駐車場に車を停め、ブレンド・コーヒーを飲む。


車内で本を読もうとしかけたけれどすぐにやめる。


道路を隔てた向こうの携帯電話ショップが気になったからだ。


日本語の母音にあたるアルファベットが小文字で2つ並んだそのショップの名前。


最近オープンしたばかりのそのショップは真新しい黒々としたアスファルトの駐車場の奥におなじく真新しいクリーム色の建物を構えている。


真新しいけれども、この手の業種にありがちな、いつでも容易に撤退しうる簡素な構造になっている。


時計を見ると9時40分。


ショップのシャッターが半分開く。


透明のガラスを通してショップの内部が見える。


濃紺のベストとスカート、それから白いブラウスに身を包み、鮮やかなスカーフを巻いたスタッフたちがゴールデン・ウィークのキャンペーンにふさわしい巨大なバルーンを飾り付けている。


しばらくするとそのスタッフのうちのひとりが腰を少しかがめながらシャッターをくぐりぬけて駐車場にあらわれた。


手には白くて大きなものを提げている。


スタッフは駐車場を横切り、道路際までやってきてしゃがみこみ、地面に設置された金属のふたを開ける。


手に提げていたものは散水用のホースだった。


白くて大きな容器から取り出した真新しく鮮やかな青色のホースを金属のふたの内側にある蛇口につなぐと、おもむろに水を撒きはじめた。


どこにか。


駐車場の縁に申し訳程度にしつらえられた若い芝生のスペースに向かってである。


ありそうでない光景。


都会の携帯電話ショップにはもちろん芝生のスペースなどないし、ここのような郊外のショップでもスタッフ自らが芝生に水を撒くなんてことはないのではないか。


とにかくぼくは意外に感じたのである。


さらに驚いたのはそのスタッフの水を撒く姿がいかにもきびきびとしていたこと。


手際がいい。


いや、芝生に水を撒くときのただしいやり方というのがぼくにはわからないのだが、実に堂にいっているようにみえる。


接客用のきれいなスカートやベストがホースに触れて汚れやしないかと心配にもなるのだが、巧みな手さばきでホースを自在に操っている。


さらに時折り、胸元のピンマイクに向かって何かを話し、ショップの内側のスタッフとやりとりをしているようだ。


ぼくは考える。


この水撒きは、彼女の仕事なのだろうか、それともこのショップのスタッフが順番に当番で回しているのだろうか。


彼女は新人だからやらされているのかもしれない。


いや、そのわりにはこの堂々たる水撒きの姿はフレッシュというよりベテランの雰囲気を醸し出している。


もしかするとショップのリーダー自らが率先してメンテナンスをおこなっているのか。


少なくとも当番だからしぶしぶ水を撒いているというふうではない。


むしろ芝生に水を撒くことを愉しんでいるようにもおもえる。


なにしろ今日は清々しい五月晴れの日なのだから。


やがてショップの中から男性のスタッフがあらわれて、彼女に向かって、ホースを巻き取るジェスチャーをしながらおどける。


時計を見ると、9時59分。


半開きのシャッターがさらに上がり始めている。


間もなくオープン。


お客の車と思われる白いワゴンが駐車場に滑り込んでくる。


水を撒いていた彼女はワゴンに向かってお辞儀をする。


ようこそわたしたちのショップへ。


水を撒く人は、妖精のように軽やかで、妖精のように愛らしい。


愉しみながらきびきびと立ち働く人のうつくしさ。