物質の最小単位は“いまのところ”素粒子である。
ヒッグス粒子もそのひとつ。
ヒッグス粒子っていうのは、“粒子”っていうよりも“場”ということなので、もうなにがなんだかまったくついていけないのだが。
“いまのところ”っていったのは、もしかしたらまださらに最小の物質というか存在はあるんじゃないかと思うから。
物質は、実際に観測されたり、あるいは計算のうえで存在が予想されたりしてはじめてその存在が認知されるのだが、人間の歴史のなかで、“これが最小単位”っていわれているものは、たぶん、常に更新されている。
ひとまず、“これが最小”って認定されても、その後の研究や観測機器の発達によってあらたな“最小”が発見される、っていうことを繰り返していると思う。
だから素粒子よりも小さい物質はもう存在しないなんてことを決定するのは浅はかなことなのではないかと感じるのである。
まったくの物理学素人のとんでもない妄想ですみません。
ところで、プラトンのパイドンのなかにこんなくだりがある。
いわく、ものそのものであるイデアっていうのは不変かつ不滅であって、不変かつ不滅であるっていうことは、結合したり分裂したりすることもなく、だから、イデアっていうのは、それぞれのものの最小単位である。
まあ、ぼくが勝手に要約するとこんな感じ。
最小単位っていうのは言い過ぎかもしれないけど、でもまあ、こんなふうに解釈するのもありじゃなかろうか。
で、パイドンのなかでソクラテスは、魂も不変かつ不滅である、という。
つまり、魂は、魂というイデアの最小単位である、ということだ。
これはなかなかおもしろい発想だと思う。
“いまのところ”人類が到達した物質の最小単位は素粒子であるけれども、もしかしたら、まだ観測されたり、計算で予想できていないだけで、魂っていうものも存在する、っていえるかもしれないんじゃないか。
魂が物質なのかどうかもよくわからないのだが、物質に質量を持たせる存在であるヒッグス粒子(ヒッグス場)っていうのもあるんだから、物質に精神を持たせる存在である魂粒子っていうのだってあってもおかしくないんじゃないか。
ちょっと前なら、いや、いまでもこんなことをいうと、おつむがおかしいんじゃないか、といわれるかもしれないが、観測できたり、計算で予想できたりしないものは、存在しない、なんていう方が驕っているようにも思う。
見えなかったものを見えるようにしてきたのが人類の歴史なのである。
もちろん見ない方がいいこともあるのだろうが。