ある人気作家さんがいて、そのひとは、書く本書く本、ファンサービスのために毎回ファンの予想を裏切りながら常に異なった切り口で作品を描いていて、だから新しい作品を出版するたびにそれまで縁のなかった読者を引き寄せ、その都度あらたな共感と感動を呼び起こしている、らしい。
ぼくは天邪鬼なので、ついついこの手の作品には距離を置いてしまうのだが、とりわけこの作家さんには興味を抱きつつ注意を払っている。
以前、あるラジオ番組をたまたま聴いていたらこの作家さんがゲストで呼ばれていて、小説論を語っていたのを聴いてしまったのがそのきっかけである。
いわく、作家には2種類ある。ここに石があるとして、その石をいろんな角度から眺めてそれについてひとつひとつ描写するタイプと、とにかく石を転がしてみてそこで起こることを描写するタイプで、自分は石を転がすタイプである、と。
その言い方に、どことなく最近の文学的な作品に対する否定的なニュアンスが感じられて、読者へのサービスを怠らないエンターテインメントこそ読むにふさわしいといわんばかりだったように思えた。
エンターテインメントがすばらしい、っていうのは構わないのだが、それを言うために文学作品を否定するっていうのはちょっとヤだなって思ったのだった。
たしかに、わざと表現を複雑にして読者を煙に巻こうとする文学系の作家もいるのはいるのだろうけど。
それで、この作家さんは、なかなか一般大衆の支持を得ているようで、その後もヒット作を連発。
最近では、戦争に関する作品が映画化されて話題になっていたりする。
戦争に関する作品は、うっかりすると作者の意図とは無関係に戦争そのものを美化しかねないので、ぼくが特に注意を払っている分野でもある。
たしかに戦争で犠牲になったひとりひとりのひとやその家族っていうのは、ある種の美しさをもって語られるべきだし、実際に美しいとも思う。
けれども、ひとびとが美しいと思うその純粋な気持ちを、ときの為政者たちは巧みに利用して戦争を肯定する世の中の雰囲気を醸成するのである。
だから、作家などの表現者は、そのことを十分に念頭に置いて作品を描かなければならない。
特に善良なる大衆の支持を受けている人気作家などは。
で、その作家さんは、ときの総理大臣の方とも非常に懇意であり、一緒に対談本を出版したりなんかもする。
放送局の経営委員会の新メンバーにも選ばれていたりする。
で、ふと思う。
この作家さんの真の狙いは何なのだろうか?
多くの著名人は政治色を出すことを嫌うのにもかかわらず、この作家さんはそれを隠そうともしないで政治色をばんばん出している。
そしてときの総理大臣の至近距離に近づいた。
もしかしたら、世間からのバッシングを受ける覚悟であの総理大臣の懐に飛び込み、自らブレーキの役割を果たそうとしているのではないか。
外からごちゃごちゃ言っていても影響力は小さい。
むしろ火中に飛び込んで影響を与え、暴走しないようにさりげなく意見する。
そういう思いなのではないか。
作品と作家を結びつけるのは好きではないのだが、これだけ多くの読者の胸をうつ作品を描く作家さんなのだから、きっといいひとに違いない。
それに、この作家さん以外の作家さんでもときどき政治に関わるような意見をするひともいる。
だいたい権力批判の方向の人の方が多くて、実はそれはバッシングを呼ばず、むしろ安全な発言だったりもするのだが。
また、日本の作家やアーティストは、外国の作家やアーティストに比べて政治的な立場から逃げているという批判もある。
だから、人気作家が政治を語るのはむしろいいことなのかもしれない。
ただし、自らの影響力の大きさには十分に注意を払ってほしい。
おおいなる力にはおおいなる責任が伴う。
たとえその力を自分が認識していないとしても。
世論をどこかに誘導したいという考えはないとしても。
まさか、読者をあおって、興味をひく素材で作品を派手に売りたい、なんて発想もないだろうと思いたいけど。
今後は読者を裏切らない言動をしてくれるに違いないとひそかに期待しながら、この作家さんの言動には引き続き注目していこうと思っている。