新年カフカ・再読フェア開催中!
が、これは難しい!!
あまりにも、あまりにも抽象的に過ぎるのではないか。
いや、なんとなくわかるような気もするのだ。
たとえば、万里の長城みたいな巨大な建造物をつくるのには遠大な計画が必要で、したがって計画を立て始めた時点と、実際に建設を始めた時点では、目的がまったく変わっていてもおかしくないとか、為政者と民衆の関係なんて、厳しい縦の掟があるようにみせかけて、実はなんのつながりもないとか。
しかし、どうことばにしてみたところで、何も言い当てた気分になれないのはなぜだろう。
まあ、権威と信じられているものは、実はなんの合理性もないきわめて不条理なものであって、掟とか法とかいうのだって似たようなもんだけど、かといってそれを批判するのは的外れで、不条理を不条理のままに受け入れて、というかそんなことはそもそも考える必要もなくて、こんなもんさと生きていく人間社会を描いているって感じかな。
なんにしろ、他のカフカ作品にも共通するように、もやもやした印象を効果的に残す作品なのである。
一文一文で解釈を語り合って遊びたくなるようなそんな作品。
語り合ってもきっと意味はないのだけれども、意味のないことを真剣に語り合うのってたのしいよね?
とにもかくにも、カフカさんが万里の長城について作品を書いた、っていうそのことにどきどきの萌え萌えなぼくなのであった。
ところでカフカさんには日本について書いた作品ってのもあるのかな? あればいいな。
余談だけど、万里の長城の建設とか壮大なスケールの話を読むと、ついついカート・ヴォネガット・ジュニアさんの“タイタンの妖女”を思い出してしまう。
すべては宇宙の果てからの指示による行動だったりして、っていうあれ。
――万里の長城――
カフカ
訳 池内紀