今年最後の作品はこれ。
小山田浩子さん、いい味を出しています。
この作品では虫系が効いています。
いい感じに不穏で不気味です。
大企業のとある一部署を舞台に話は進みますが、ストーリーらしいストーリーはありません。
そこがまたいい。
ストーリーが欲しいときもあるけれど、ぼくはだいたいは文章が醸し出す空気感に包まれたくて本を読んでいるので、こういう作品は好きです。
結構、たくさん人物が登場するけれども、それぞれの人物に次々と視点がバトンタッチされていく構成です。
で、たとえばAさんとBさんがいて、Aさんが思っている自分像とBさんが思っているAさん像はずれています。
あるいは、Bさんが思うAさん像と、Cさんが思うAさん像も違っていて、Aさんの姿はいったい何が正しいのかがわからなくなります。
自分で思う自分像は案外思い込みによる的外れの自分像だったりしますし。
そのへんの微妙なずれの描き方がとてもうまい。
集団があれば、ひとりひとりはその集団のなかで自分がまとうのにふさわしいキャラクターをさがしてまとい、それを演じることが求められます。
それを理解して演じているひとは、まあ大丈夫なんですが、だんだんと演じてることがわからなくなっちゃうひとがいて、そういうひとには困ります。
で、この作品の奈良さんは、まあ主人公といえなくもないのですが、一切演じようとしないどころか、集団に融けこもうという意識がまったくありません。
そんな奈良さんへの同僚たちの接し方がまた、十人十色。
女性社員たちは、一見、共通しているように思えますが、それぞれの腹のなかは、微妙にずれています。
水谷課長のひとりよがりな思い込みも、なんだか笑えますが、こういうパターンはしばしば実際の集団でも見受けられます。
で、ふと思います。
外から見えるキャラクターと、腹のなかが異なるのはいけないことなのか?
内面と外面は一致しているべきなのか?
ぼくは、ノンと言いたいです。
みんながみんな内面と外面が一致していることを求められたら、きっと集団は維持できないでしょう。
思っていても口に出してはいけないこと、思っていなくても口に出さなくてはいけないこと、集団が集団の目的を実現するために必要なことを、演じる役者であらなければならないのだと思います。
それは決して腹黒い、っていうわけではなくて、集団を構成する他者に対するやさしさとかおもいやりといえるのではないでしょうか。
ちょっと作品のテーマとは外れてしまいましたが、内面と外面のずれにより生じる不穏な感じや不気味さというものを、否定も肯定もせずに描いているこの作品は、なかなかやるなと思います。
にしても、奈良さんは普通におかしいと思うので、医者に診てもらった方がいいと思うぼくは、やはり自分の価値観に囚われてしまっているのでしょうか?
奈良さんの夫に、奈良さんのどこに惹かれたのかきいてみたい気持ちもあります。
――いこぼれのむし――
小山田浩子