宝くじは買わない | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

RCサクセションにこういう素敵な歌がある。


“宝くじは買わない”。


恋をして幸せだからお金なんていらない、って。


400万円があたっても今より幸せになれるはずがない、って。


400万円!


そういう時代もあったのね。


大阪駅前第4ビルの特設売り場で宝くじを買おうと思った。


大阪最強の宝くじ売り場。


町田康さんの“河原のアバラ”の主人公も、ここでならおおブレネリを歌わなくても大満足。


みんな行儀よくフォーク並びしている。


っていうか、フォーク並びしないとどうしようもないくらいに人、人、人。


フォークの柄の部分が何重にも折れ曲がっている。


この射幸心もあらわな強欲者たちめ! って自分のことを完全に棚にあげて思う。


っていうのは嘘で、いやあ、愛すべき庶民たちよ、年末の風物詩なり、あっはっは、と心の中で喝采を贈る。


まあ、並んでいるとはいっても、宝くじを売っているだけで、そんなに難しい商取引が行われているわけではないので、見た目とは裏腹にするするすると列は進んでいく。


ところで、なににつけ並ぶことが嫌いなぼくがなぜ並んでまでこの最強の売り場で宝くじを買おうとしているのか。


それはね、ここには1等の当たりくじがあるからだよ。


なんて、愚の骨頂のようなたわ言を平然と言い放つ。


いや、それは単に売っている数が多いから当たりがよくでているように感じるだけで、どの売り場で買っても1枚あたりの当たる確率は同じだよ、そもそも当たりくじを売っているわけではなくて、売っている時点では当たりくじなんて存在しないんだよ、なんぞという至極真っ当な注釈なんかに傾ける耳は持ち合わせていない。


必ず宝が埋まっているけど広い島と、宝が埋まっているかどうかわからない小さな島、どちらを探検するかっていったら、前者でしょ! と自らの知性のなさを堂々と主張してみる。


大きい声で主張すると、ばかばかしい理屈でさえももっともらしく聞こえてしまうひとがいるので、暗示にかかりやすいひとはご注意ください。


で、いよいよフォークの握りの部分の終盤、フォークのフォークたる所以である先端部分にあたる各窓口への分岐点に差し掛かると、係員のひとがこう叫んでいる。


売り子はここからじゃ見えませんよ! どこに並んでも一緒ですよ! 後ろに並んでいるひとのことも考えて選ばずに空いているところに並んでください!


もとよりどこにでも並ぼうと思っていたぼくにはこの係員さんの叫びの意味がすぐには呑み込めない。


が、しばらくして合点した。


なるほど、売り子さんの顔で選んで並ぼうと思うおひとがいらっしゃるのね。


たしかに、貧相なお顔の売り子さんよりも、福々しいお顔の売り子さんのところで買いたいという気持ちはわからないでもない。


ちょっと待てよ、この感じ、何かに似ている。なんだっけ? あっ! そうだ! 初詣のおみくじやん。おみくじを買うときもちょうどこんな風に、巫女さんのお顔をみて選んで並んでるもんな。そうか、宝くじは現代のおみくじだと、そういうわけだな! まさに宝くじ購入は、神へのおまいり、神とのコミュニケーションと、そういうわけだな。ならばこの長蛇の列も信心深い参拝者のおごそかな列なり。あな尊し。


とどうってことないあたりまえのことをさも重要な発見でもしたかのようにひとり心の中で大きく叫ぶ。


結局、係員のひとの言うように列に並ぶまでは売り子さんのお顔はよく見れず、したがって運を天にまかせて空いている列に並ぶのだが、列が短くなり、窓口が近づいてくると、どうにか売り子さんのお顔が見えるようになってくる。


初詣のおみくじの巫女さんと違うところは、どなたも妙齢のお姉さん方だということ。


まあ、きっと、こういう仕事は若い小娘どもには荷が重いのであろう。


なにしろ、空気のようにふわふわしたお告げをしたためただけのおみくじとは違って、現ナマに通じるかもしれない宝くじを売っているのだから。


でもまああれだな、個人的には、小娘のみなさんが売ってくれる方がうれしいのはうれしいな、ってこれは完全にぼくの修行が足りないせい。


それにしても、そういうマニュアルがあるのか指導がいきわたっているのかしらないが、どのお姉さん方も、福々しい感じのお顔になっている。


そういうメイクのせいなのかどうかわからないけど。


仕事によってそれにふさわしいメイクってあるもんな。


宝くじの売り子メイクっていうのもあるのだろう。


つまり、どこに並んでもやっぱりみなさん福々しい感じになっている、ってこと。


それにしても、毎年2,000枚買ってるって話をしているひともいて、それって宝くじを買う必要のないひとなのでは? って思わなくもないが、グループ買いとかもあるしな。


それに、当てることが目的ではなくて、宝くじというかたちの寄付だって考えて買うひともいてもおかしくないから、そういうことだって満更珍しいことではないのだろう。


なにはともあれ、これでしばらくは、いい夢を見ている気分になりたい。


ところで。


当選番号の発表があってもしばらく確認をせずに宝くじをそのまま置いておいたら、それもシュレーディンガーの猫、っていうことになるのかしらん。