落ちる葉 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

枯れ葉が落ちるその刹那をまのあたりにする。


音など立っているはずもないのに、耳にはひらひらひらと聞こえてくるようだ。


“人は、完全のたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。”


太宰治の富嶽百景の有名な一節である。


あまりにも絵になりすぎる、その枯葉の落ちゆくさまを見ていると、ちょうどそんなことばが思い出された。


ひらひらひらとしなやかに舞うように、くるくるくるとかろやかに回りながら。


そのなかに一枚、やたらと滞空時間のながいやつがいた。


ひらひらひらひらくるくるくるくる。


着地しそうで着地しない。


空気の流れのいたずら。


こどものころによくやった、二つに裂いた紙切れを高いところから落とす遊びにそれは似ていて。


ほかのことをすべて忘れて、ただひたすらにそれを目で追う。


奪われたこころ。


わたしはわたしであってすでにわたしではない。


わたしのこころはあの枯葉に奪われて、残されたわたしのからだはただの木偶。


枯葉の落ちるさまをうつくしいと感じるのはなぜ?


それは刷り込み?


それは美のイデア?


メメント・モリ。


死は常にあなたとともに。