はたして、自分を好きになれたんでしょうか?
主人公のリンデは。
16歳、28歳、34歳、47歳、3歳、63歳のリンデのそれぞれの1日を描いています。
16歳のリンデでは、ああ、また最近はやりのスクール・カーストみたいな話か、と少々辟易としないでもありませんでしたが、本谷さん的なキレが結末に控えており、おおっ!と思いました。
うん、そう、高校生の繊細な感情のあれこれなんて、案外どっちもどっちなのです。
ぼくがいちばん気に入ったのは、28歳のリンデと34歳のリンデの1日。
“28歳のリンデとワンピース”では、旅先の海外でのリンデと恋人のやりとりが身につまされます。
初日にホテルの部屋に到着したところまではいい感じで楽しんでいたふたりでしたが、夕食のレストランの空調が効きすぎていたのか、ちょっと寒いわね、とリンデが言ったことから、恋人の機嫌が悪くなります。
最終日の夕食に恋人が、ダイナー(庶民的な食堂)を予約したといったことに対して、最終日は洒落たレストランだと想定していたリンデは、ダイナーでいいの? と口を滑らせてしまいます。
恋人はそれを愚痴と捉えます。
夕食に着ていこうと思っていたワンピースに目立つしわが入っていたことからアイロンをかけようと思ったリンデが、この部屋にはアイロンがないのね、と言ったことで、恋人の機嫌はさらに悪くなり、アイロンを届けてもらうボーイに渡すチップの5ドルがないということで、さらに不協和音が大きくなります。
リンデは、思ったことを口にしているだけで他意はないと言い張りますが、恋人はそれを信じられません。
こういうすれ違い、ぼくにも何度もありました。
たとえば仕事で取引先や上司に、同じようなことを言われると、即対応、たとえばレストランにお願いして空調を調節してもらうとか、ダイナーをレストランに予約変更するとか、そういう対応が求められます。
あるいはそもそもそういう苦情を取引先や上司に言わせないように配慮してセッティングするのが仕事の腕だったりして。
そういう、仕事の延長でふだんの生活を生きているひとの場合、恋人からの何気ないひとことも、つい自分の手配能力を批判されているように感じてしまい、だから機嫌が悪くなっちゃうんですよね。
文章に書くとあまりにも馬鹿みたいですけど。
それで、リラックスしたい恋人との時間にそんな批判めいたことを言われた報復に、恋人ならではのもっとも毒のある、効き目抜群の嫌味を返してしまったりして。
ああ、最悪。
最近は、ようやく慣れてきてスルーできるようにもなってきましたが、経験が浅いころはやはりこういう、相手の無邪気なひとことに過剰に反応しちゃうっていうことをやっていました。
じっさいのところ、リンデにもきっと他意というか不服はあるに違いないのですが、たとえそうであっても雰囲気をこわさないにする方が得策だと思えるようになりました。
それでもときにはついつい過剰に反応してしまうときもあるのですけどね。
で、続く“34歳のリンデと結婚記念日”。
意外なところからスタートしますが、やはり結末は予定通り。
結局のところリンデも、あまりにもマイペースというか、鈍感というか、協調性がないというか、デリカシーがないというか、ひとと一緒に暮らしていくのに必要な能力が欠落しているように感じられます。
性別にかかわらず、現代日本社会には、こういうタイプのひとが増殖しているのに違いないです。
この話を読んでどきりと思い当たるふしのあるひとは要注意です。
ぼくもひとのことは言えませんが。
47歳と63歳のリンデをみていると、何とも言えぬ哀れさのようなものを感じてしまうのは、ぼくがまだ青いからでしょうか。
だんだんこんな感じがわかるようになっていくのかな?
本谷さんもきっと想像で書いているんだろうけど、自分が経験したことのない年齢の主人公を、作家はどういう想像力を働かせて描くのだろう?
――自分を好きになる方法――
本谷 有希子