以前からどれか読んでみようと思いながらもタイミングが合わなかった内田樹さんの著作。
内田さん自身のことは“日本辺境論”が話題になったあたりから気になっていた。
去年、中沢新一さんが“大阪アースダイバー”を刊行されて大阪でキャンペーンみたいなのをやられていた時期に内田さんと一緒にお話しされた“寺子屋トーク”は刺激的な話題の連続だった。
そしてこのたび、“修行論”というタイトルに惹かれてこの著作を読んでみた。
ぼくは修行という行為のイメージが好きである。
修行によって新たな世界が開かれる、っていうそういう仕組みが好きなのである。
ブレーク・スルーって気持ちいい。
最初から天才というパターンよりも、修行の末に思いがけないところに到達する、っていうストーリーが好き。
少年時代に観たジャッキー映画なんかの影響かもしれない。
といって、なにがしかの修行にぼく自身が取り組んでいるかというとそういうわけではない。
根性がないもので。
この本は新書なのだが、“修行論”といいつつ4つの文章に分かれている。
修行論―合気道私見
身体と瞑想
現代における信仰と修行
武道家としての坂本龍馬
それぞれ異なるメディアのために書いた文章を1冊の新書にまとめているということだ。
とはいえ、修行というテーマは共通しているので、読んでいてすっきりと頭に入ってくる。
繰り返しが多いというのも、くどいというよりもわかりやすさにつながっているのではないか。
で、修行である。
細かいことはきりがないので挙げないが、この1冊の中にはたくさんの示唆がこもっている。
中島敦さんの名人伝の引用もたのしい。
ぼく、この作品、好きなんだよね。
内田さんは、尾田栄一郎さんのワンピースについての文章も書いているが、この新書を読んでいると内田さんがワンピースを好きな理由もよくわかる。
漫画の中ではさほど描かれないが、ルフィたちも修行(実戦の場面も多いが)によってステージがあがっていくからね。
タイムの速さとか筋肉の太さとか、直線的な数値では決して測ることのできない、修行の成果。
ただし、数値化されないものということになると、どうしてもあいまいなものになりがちで、場合によっては神秘主義、精神主義にもつながりかねないので、そのバランスというのは難しい。
UFOの存在や、人間が空中浮遊できるということについて、はなから信じない社会の傾向についても書かれている。
内田さんはUFOを見たことがあるし、空中浮遊ができるという師匠の話も信じている。
何かが“ない”ということを証明するのは難しいし、これまでの科学は不可能を可能にしてきた学問であるし。
科学的と科学主義的の違いもなるほどと思う。
ついつい科学と科学主義をはき違えてしまうんだよね。
修行には報酬も処罰もない、っていうのもぼく好み。
ぼくの理想は、誰かに認められなくても気にせずにやるべきことをやる、っていう生き方。
認めてほしいとか、批判されたくないとか、そういう価値観と遠く隔たったところで行動していきたい。
もちろん、認められると素直にうれしいし、批判されると簡単にへこむのではあるが。
キマイラ的身体の話とかブリコルール性の話とか、いろいろと考えることもあるけれども、きりがないのでまた機会があれば。
ちなみにぼくも昔は、どこでも寝られる、なんでも食べられる、だれとでもともだちになれる、っていうブリコルール性を持ちたいと憧れていたものだが、結局いまは、自分の布団じゃないと熟睡できないし、珍しいものは食べたくないし、人見知りは激しいし、っていうことでまったくの期待外れ。
うっかりしたひとが読むと、ファシズムとか神秘主義とかに受け取られかねないきわどい内容でもあるけれども、ひとつの度量衡に偏らずに、包容力のある柔軟な心身で読んでみればいい。
こうした読み方も、ある種の修行といえるかもしれない。
哲学者であり、武道家でもある内田さんっておもしろいおひとである。
――修行論――
内田樹