町田康さんの処女小説。
っていうか処女小説という表現はいまでも使われていて正しいのだろうか。
軽く違和感。
それはそうと、やっぱり最初からこういう作風だったのね。
くっすん大黒っていうタイトルがどことなく不思議なイメージだったのだが、読み終えればなんということもない。
そういう、はぐらかしも作者の得意とするところ。
勝手にはぐらかされただけだけど。
主人公の楠木正行は、他の町田作品の例にもれず、やはり安定感のあるぐだぐだぶりなのだが、そのどうしようもなさが、どうにも他人のようには思えない。
いや、ぼくなんていたって常識的な暮らしぶりで、毎朝、ほぼ同じ時間に起きて、きちんと身なりを整えて仕事におもむき、夜には家に帰ってきて風呂に入って寝る、という几帳面さの繰り返しで生きているのだが、それでもやはり主人公のぐだぐだぶりが、身につまされる。
ぼくからアウトプットされる言動はたしかにはた目には常識的ではあるのだが、そこに至るまでの思考については、楠木とおなじように、とにかくぐずぐずしているのである。
で、このどうしようもなさに、呆れる反面、案外、気持ちが良かったりもするので、それが自分の向上を妨げているというわけ。
あまりのだらしなさゆえに妻に家を出て行かれてしまった楠木正行は、自宅にあるだらしない大黒の置物が諸悪の根源と思い込み、それを捨てるべく外出するのだが、そこからさらなるぐだぐだ状態におちいるというあんばい。
じっとしていても仕方がない。
とにもかくにも、動いていればしょーもないことでも何かが起こる。
何かが起これば、それなりに生きている感じになるのであって、それなりというそのことが生きるということの正体だったりする。
よくもまあこれだけでたらめなことが起こるなあと思いながらも、この物語に浸っている心地よさ。
相棒とのやりとりも堕落しきっているのだが、それでも何故だか小気味いいウマの合い具合。
他の登場人物たちも過剰に異常で、でももうちょっと小ぶりにした感じのおかしなひとはたくさんちまたに溢れているわけで、なんともはや。
それにしても、亀をあんなふうにしちゃうのだけは、よくない、よくないよ。
――くっすん大黒――
町田康