シンガポールの旅行のパンフレットをパラパラめくっていたときに、ラッフルズホテルの写真に目が留まった。
ラッフルズホテルはぼくにとっては思い出のあるホテルだ。
いや、シンガポールに行ったことはないので、もちろん泊まった思い出とかそういうことではない。
かつて、感じのいい女性の先輩に薦められて、はじめて村上龍さんの小説、コインロッカー・ベイビーズを読んだぼくはその内容にたいそう衝撃を受け、その感想をきいた先輩がさらにもう1冊と貸してくれたのが、このラッフルズホテルだった。
ぼくはこの小説のなかの、金持ち相手のツアーコンダクターをなりわいにしている青年に興味をもち、将来、こういう仕事をしてみたいと想像したのである。
結局、その想像は叶わなかったけれども、いまでもときどきそれを思い出す。
で、旅行のパンフレットで見かけたことをきっかけに、ずいぶん久しぶりに読んでみた。
バブルの頃の作品という先入観のせいか、どことなく過剰で気どりすぎな演出という気もしないでもないが、それでもやはり、先鋭的でスタイリッシュな出来栄えだ。
笑えも泣けもしないけれども、かっこいい。
もともと村上龍さん自身が監督として撮影した作品を、のちに小説化したということだったので、映画を観たことのないぼくは、いったいどの役者さんがこの登場人物にふさわしいかと考えながら読んだ。
謎の女、女優の本間萌子。
元戦場カメラマンの実業家、狩谷俊道。
そして、金持ち相手のツアーコンダクター、結城岳夫。
あとがきに本間萌子を演じた女優の名前が載っているが、なるほどな、と思わせる。
現在活躍中の俳優なら、誰がいいかな、というのも考えてみたが、ちょっと25年前とは日本の空気が変わってしまっているので、どうにも思い浮かばない。
それにしても、ことしは戦場カメラマンに縁がある。
読み返すまで、戦場カメラマンが絡んでいるということは忘れていた。
こういう奇遇っていったいなんなんだろう。
まあ、たまたまなんだけど。
この作品にバブルの影響を読み取るのはぼくの誤った固定観念かもしれないけれども、ちかごろはこういう作品をあまり目にしないような気がする。
なんだか、ちかごろの小説は、徹底的に地味か、癒し効果を期待させるか、極端に奇想天外か、とにかく興味の対象が内面に内面にと向かっているように思うのは浅はかな考えだろうか。
それはそれで好きなんだけど。
いかなるグラフも右にのびるにつれて永遠に上がっていくと信じて疑わなかったあのころ。
いや、こころの片隅ではわかっていたのかな?
泡はいつかは破れることを。
それでもそんなことには気付かないふりをして。
――ラッフルズホテル――
村上龍