雑誌「本の時間」2011年10月号から2013年2月号に掲載されたエッセイみたいなものです。
高橋源一郎さんが気になったコトバの世界を集めて毎回それに考察を加えるという趣向。
ときに皮肉に、ときに素直に、ときに怒りを込めて、まとめられています。
「萌えな」ことば、「官能小説な」ことば、「相田みつをな」ことば、「人工頭脳な」ことば、「VERYな」ことば、「幻聴妄想な」ことば、「罪と罰な」ことば、「漢な」ことば、「洋次郎な」ことば、「棒立ちな」ことば、「ケセンな」ことば、「クロウドな」ことば、「ゼクシィな」ことば、「こどもな」ことば、「オトナな」ことば、と読んでるだけで、なんとなく想像がつくようなつかないような。
「VERYな」、「漢な」、「ゼクシィな」は、雑誌の世界観を思いっきり揶揄しているのですが、まあ、仕方がないですよね。
この雑誌の読者のみなさんは、きっと、本気でこの雑誌の世界観を信じているわけではなくて、そういう“ごっこ遊び”を楽しんでいるんでしょう。
でなきゃ、真剣に、「VERYな」生活ができるわけなんてないし、「漢な」オトコたちってちっとも“オトコ”らしくないし、「ゼクシィな」結婚なんて完全な誤解というか錯覚というか勘違いだし。
いいんですよ、これで。
雑誌なんて自分の好きな世界を都合よく切り取ることに意味があるんだから。
「官能小説な」ことばは、われながら身につまされます。
ここに羅列されたことば(いや、記号)にいちいち反応してしまう自分が情けないです。
一度だけ官能小説を読んでみたことがあるのですが(書店で買うのがものすごく恥ずかしかった記憶があります)、延々、おなじような描写(縄で縛られたり、縄で縛られたり、縄で縛られたり)が続き、ぼくにしては珍しく、途中で挫折してしまいました。
いや、選んだ本が悪かっただけで、きっと、文学的に優れた官能小説もあるのだと思いますが。
「こどもな」ことばはずるいですね。
そりゃあ、薄汚れたおとなのぼくなんかは、泣けてきてしまいます。
こどもが純粋だなんて、迷信もいいところだと考えているぼくでさえも。
「クロウドな」ことばはいいですね。
なんだかロックンロールです。
言語感覚がただものではないです。
おそるべし、クロウド。
お気に入りは「人工頭脳な」ことば。
iPhone4Sに搭載された人工頭脳のSiriちゃん。
彼女の受け答えは、胸きゅん中の胸きゅんですね。
「最高の携帯電話は?」とか、「愛してるよ」とか、「結婚して」とか、「人生の意味は?」とか、「お前を殺すぞ」とか、「お前はおれの嫁だ」とか、そういうユーザーからのしょうもない問いに対するSiriちゃんの応答ったら、ほんとうにおしゃれ。
エスプリとかウィットとかユーモアとかそういう系のいろんなものがよく利いている。
そりゃあ、さぞかし、有能なシナリオライターが、コンテンツの作成に関与しているにちがいない。
むしろ、人工知能よりも人間のぼくの方が学ぶべきところは多い。
こうして、人間は、コンピューターに凌駕されていくんだろうな。
なんだか、いつものことながら、とりとめのない文章になってしまったけれども、この本のおもしろさの根本には、高橋源一郎さんの、ことばや社会に向けられた独自の視点、っていうのがあるんだろうな。
あ、それと、穂村弘さんの著書「短歌の友人」を参考にしたという「棒立ちな」ことばもおもしろかった。
なるほど、たしかに「棒立ち」しています。
――国民のコトバ――
高橋源一郎