出掛けていた先から帰ってきて玄関にたどり着いたタイミングで、古紙回収業者さんのトラックが自宅の前を通った。
なかなか出くわす機会がないので、これを逃すとまた古新聞がたまる、と慌ててトラックの運転手たるおじさんに手を振りストップの合図を送り、急いで玄関を開けて古新聞を運び出す。
トラックに積み込んでもらったあと、おじさんが自分の小銭入れを開けようとしたので、いや、いいです、とそれを断る。
おじさんは、それではお代は頂戴しておきます、とひとこと残してまたトラックで去って行った。
さて、ぼくの書いたこの文章、お気づきの方もいらっしゃるだろうけれども、いくつかのクエスチョンマークがつく。
その1。
ぼくが、おじさん、と書いているそのおじさんは、果たしておじさんでよいのか。失礼な呼称ではないのか。やはり仕事をしているひとに対してはそれにふさわしい呼び方があるのではないだろうか。たとえば、業者さん、と呼ぶべきではないか。ぼくは、親しみを込めておじさんと書いているつもりであるが、その意識の中には親しみならぬ侮りが少なからず含まれているのではないか。あるいは侮りとまではいかなくとも上から目線になっているのではないか。
お店などで店員さんがお客さんに、奥さんとかご主人とか言っていることがある。さすがに近頃ではだいぶ減ってきているとはいえ、いまでもときどきその言葉をきく。そのたびにぼくは冷や冷やする。この女性が未婚だったら奥さんではないだろう、この男性が未婚だったらご主人ではないだろう、そもそも既婚者であっても女性に奥さん、男性にご主人というのはジェンダーの観点からまずいだろう。やはりここは名前で呼ぶべきであるし、周囲に他のお客さんがいて名前を呼ぶことがプライバシーの観点からまずいのならば、そのお客さんの近くまで寄って行って、お客さまと呼ぶのが正解だろう。まあ何が正解というのは一概にはいえず、ケースバイケースであるのだが、社会的なさまざまな問題を念頭に入れておかなければケースバイケースに対応しようがないのである。
余談ではあるが、ぼくは居酒屋などで店員さんを呼ぶときには、すみません、と呼ぶか、なじみのお店だとお姉さんとかお兄さんとか呼ぶようにしている。お母さん、なんて間違っても言わない。わたしはあなたのお母さんじゃないのよ、ましてや未婚で子どももいないわたしが見ず知らずのあなたにお母さん呼ばわりされる筋合いはないわよ、とはさすがにお客相手には言わないだろうけれども、その後のサービスに確実に跳ね返ってくるだろう。
その2。
ぼくが古紙回収業者さんから代金を受け取らなかったのはなぜだろうか。その代金はきっと10円だろう。10円なんてもらってももらわなくてもぼくにはなんの影響もない。むしろ、邪魔な古新聞を回収してくれるのだからこちらが手数料を支払わなければならないくらいだと思える。そういう気持ちがぼくに代金を受け取らせなかったのだろう。しかし、よく考えるまでもなく、古紙回収はビジネスである。そして現在のところ、古紙回収の手数料を客から受け取るビジネスではなく、客から古紙を買い取るビジネスである。たとえそれがきわめて安価であったとしても、だ。そのビジネスのルールを10円を受け取らないことによってぼくは破ったことになるのではないだろうか。それは礼を失したビジネスのマナー違反になるのではないか。よしんばどうしても10円が不要だというのならば、ひとまず代金として受け取ったうえでチップとして業者さんに渡せばよいのではないか。まあ日本にはチップの習慣はないうえに、10円ではチップとしてはあまりにも貧弱なのかもしれないが。
などといろいろ適当なことを書いてきたが、やっぱり10円を受け取っておけばよかったという後悔がぼくにこのような文章を書かせているのだ。
えてして、このあとに出掛けた先で、10円が足りずに苦い思いをするものなのである。
たとえば10,100円の所持金で110円の水を買おうとして、お釣りが1,000円札9枚と100円玉9枚と10円玉9枚になって財布がパンパンになるとか。
10円とてあなどるなかれ。