やっぱりぼくはマイケル・サンデル教授が好き。
いつも信じるに足ることを思い出させてくれる。
反対意見を切り捨てながらもスピーディーに決められる政治と
合意形成を重視しながらもいつまでも決められない政治と
どちらが是であるか常々迷っているぼくではあるが、サンデル教授の講義を聴いているとその問いの浅はかさに気づかせてもらえる。
昨日、NHKで放送していた
マイケル・サンデルの白熱教室@東北大学 「これからの復興の話をしよう」
を観た。
東北大学で開催された特別講義。
東北大学の学生500人とホームページで募集した一般参加の500人のあわせて1,000人を前にした白熱教室。
その多くが宮城県や福島県などの東北地方在住の方々。
いつもの白熱教室は、サンデル教授が考え出したシンボリックな問いに対する討論という形式での思考実験であり、ぼくはその寓話性ゆえに醸し出される現実以上の濃度のリアリズムに惹かれているのであるが、惹かれつつも同時に、これって現実問題ではどれほどの効力があるのかな、という疑念も抱いていたのである。
けれども今回は寓話性を排して、まさに現在進行形で激論が交わされている、あるいはその激論ゆえに地域や家庭すらも分断に陥っている問題について討論が行われた。
そしてそこで、やはりシンボリックな問いは現実問題にも有効であるということを知ることになる。
テーマは、
自主避難をしたひとたちに補償をおこなうべきか
自分の命と自分の職務とどちらを優先すべきか
関係者の合意とスピード感のどちらを優先すべきか
というもの。
どの問いもまさに当事者が先鋭的に対立する解決が困難な問題だ。
ぼく自身もどちらの立場もよく理解できるし、きっと正解はないのだろうな、あるいは決めたことが正解であると考えるしかないのだろうな、と思っている。
これはきわめて無責任な態度であることは認めざるを得ないのだが、決められないのだからしようがない。
講義の冒頭である参加者の次のような感想が紹介されていた。
東北のひとは我慢強く、対立するよりは自分が黙っていようという考え方が根強くて、それは美徳でもある反面、こういった大勢での議論の場には不向きなので、きっとこの企画は成功しないだろう。
サンデル教授はこのことばを踏まえたうえで、決してこの議論で解決を導くことはできないだろうが、果たして東北のひとたちに大勢での議論はできないのか、無意味なのか、ということをみてもらいたい、として議論をスタートさせる。
地域住民に退避を呼びかけるために奔走していたために自分が逃げ遅れて命を失った民生委員や消防団員のみなさん。
あの日を境に現場では、助けるよりもまずは自分の命を守り、生き残ったひとびとへの支援につとめることこそが重要である、ということが基本であるように考え方が変わった。
一方で、自己犠牲により多くの命とひきかえに自らの命を失ったひとびとへの敬意こそが、災後を生きるものたちへの人間存在への希望につながっているという考え方もある。
みずからが助ける当事者である場合と、当事者に指示をする責任者である場合では、対応には違いが出て当然だろう。
ぼくは基本的には、あとのことを考えてまずは自分が生き延びるべきであるとは思うけれども、現場に居合わせれば、判断は異なるだろう。
集団移転か地元で復興かの議論では、正解などないのだからまずは合意形成よりもスピード感を優先するべき、つまり、一定のリーダーシップのもとに復興を進めて行くべきという考え方にもうなづけるし、スピード感を犠牲にしてでも禍根を残さないために粘り強く利害関係者で議論を行い、合意というよりも納得を醸成するために議論の時間を保証するべきだという考え方にもうなづける。
先鋭的に対立するふたつの意見の間に合意点を見出すのはそうとう骨の折れる作業であるばかりでなく、しばしばとうてい決着がつくようにも思えないわけであり、合意を前提にしなければならないとするといつまで経っても物事が前に進まないためにいらだちが募るというのが、現状、あらゆる問題で起こっているのだと思うが、それでも、それでも、それでも、やはりお互いの主張に耳を傾け、ときには反発もしつつも、自分が何かに気づいて意見を修正することにこころから納得できる場合もあるだろうから、時間がかかっても納得できる議論の道筋だけは、担保されるべきだな、と思い至る。
もしもサンデル・メソッドみたいなのがあって、サンデル教授のように話し合いの場のMCをつとめられるひとたちが増えれば、乱暴な決められる政治ブームよりも、逃げずに問題に向き合って敬意と誠実さをもって互いの意見に耳を傾けつつ問題を前進させる政治の方が信頼できると思えるような気がする。
きれいごとだといわれればそうかもしれず、当事者感の薄い人間のたわごとのようにしか受け取られないだろうし、そもそも賛否双方の主張を長時間をかけて知り尽くした上で自分の立場を決定しているひとたちはもはや自分の意見を修正することなんてできないだろうと思うと、こんなことを書いたその瞬間から自分の甘さと無責任さに打ちひしがれてしまうのだけれども。
――マイケル・サンデルの白熱教室@東北大学――
マイケル・サンデル