WHAT WE SEE 夢か、現か、幻か | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

しくじった。


芸術作品には先入観なしに触れたいというのがぼくの基本スタイルだけど、今回は裏目に出た。


もう少し事前に情報を入れておくべきだった。


1年半ぶりに中之島の国立国際美術館へ行った。


いつみてもあの巨大な蝶の骨の化石のような外観にうっとりとする。


今回の展示タイトルは

WHAT WE SEE

夢か、現か、幻か。


映像作品ということで、アーティスティックなものを想像していたが、そうではなかった。


いや、じゅうぶんアーティスティックだったのかもしれないが、ぼくが思っていたのとは違った。


ぼくのイメージでは、よく音楽のPVなどで使われている5分くらいのスタイリッシュな映像作品がそれぞれの展示室で繰り返し流されていると思っていたが、違った。


エスカレーターで地下3階へ降りて行き、フロアガイドを受け取ってひとつめの展示室に入った。


10メートル四方くらいの暗い部屋にスクリーンが3つ並んでぶら下がっていた。


スクリーンに正対して壁際にベンチ。


先に3人くらいが座っていた。


アジアのどこかの国の女性がそれぞれのスクリーンにひとりずつ映し出されていて、うちふたりは目をつむって静止している。


別のひとりは何かを語っている。


ただそれだけ。


いや、きっと最初から最後まできっちりと観れば意味がわかるんだろうけど。


途中で入ったので、最後まで観てからもういちど通して観ようと思っていたが、どうやらそれができるような短さではないようだったので、考え方を変えて、ひとまず、すべての展示室をひととおり巡ってから、あらためて観たい作品だけを観に戻ってこようと考えた。


次の展示室とはカーテンで区切られているだけなので音も洩れてくるが、映画館ではないのでそういうことは問題ではないのだろう。


にばんめの展示室では、飛行機で事件が起きているような映像が流れていた。


これも短い作品ではなさそうだった。


入り口で受け取ったフロアガイドに上映時間が書いてありそうだったが、暗くて読めない。


しまった。


入る前に読んでおくべきだった。


みっつめ、よっつめと展示室をまわっていくうちに、なんだかとてもシュールな状況に自分が置かれているような気がしてきた。


この空間をいかに愉しめばよいのかわからないままに戸惑いながら進んでいくぼく。


けれどもこの行動はぼく自身が自分で選んだ行動なのだ。


あきらめてさっさと出て行くのも自由なのだが、なんとかしてこの状況を愉しむ方法を見つけ出したいと思い始めた。


なんだかよくわからないながらも開き直ってしまえばそれはそれで愉しいもの。


いつもの写真や絵画や彫刻の鑑賞とは違った芸術体験。


10の展示室それぞれの空間と映像とそこに流れる時間を愉しんだ。


あとでフロアガイドをよく読むと、作品は2分のものから80分のものまでさまざま。


展示の趣旨としては、現実をありのままに映すものとしての映像がいつしか虚構を描くものになり、虚構を描いた映像が今度は現実以上に現実をあらわすようになり、虚と実の境目がどんどんあやふやになっている状況を提示するというものらしい。


それってぼくの好きなテーマじゃないか。


最初からそういうテーマだとわかっていたら、そういうつもりで観たのに。


もしこれから観に行くつもりの方がいらっしゃったら、作品の時間と概要をあらかじめ調べておいて、短い作品はフルにすべて観ればいいけれども、長い作品はどれを観るか決めておいて、アート系の映画を観に行くつもりで訪れるのがお勧めです。


ぼくがもしもう一度行くなら、

ヨハン・グリモンプレさんのダブル・テイク(80分)

スティーブ・マックイーンさんのワンス・アポン・ア・タイム(70分)

シプリアンガイヤールさんのArtefacts(ループ)

さわひらきさんのSouvenir no.3(2分)、Souvenir no.5(2分)、Lineament(18分47秒)

エイヤ=リーサ・アハティラさんの受胎告知(28分30秒)

柳井信乃さんのscreen memories(9分10秒)

かな。


これでもかなり長時間、美術館のなかにいることになりそう。


やっぱりもっと絞らないといけないな。


全体的にはアーティスティックというよりもメッセージ性の強い作品が多いと思う。


もちろんアートにはなにがしかのメッセージが付き物ではあるのだが。


ちなみにぼくがいちばん好きそうだとおもったのは、柳井信乃さんのscreen memories。


それにしてもそれぞれ何分の作品かがわからずに、しかもどの展示室に入っても途中から観ることになるので、切り上げ時が難しかった。


時間がわかっていればもう少しうまく観られたかもしれない。


映像の芸術というのは、音楽の芸術と似て、時間の拘束というのが鍵になるというのが今回の発見。


動画サイトみたいに画面下に何分のうちの何分進んだかが表示されたらいいのに、なんて思ったけれども、きっとそれはぼくが動画サイトに毒されているせい。


正直なところ、映像の展覧会は不慣れで勝手がわからなかったので企画者の意図するように堪能したとは言い難いが、それでも平日の昼間の美術館の空間は、そこにいるだけで人間を静かにさせてくれるのがいい。