大阪アースダイバー 【エピローグにかえて】 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

大阪でアースダイバーをやっていくと必ず微妙な問題に触れていくことになる。


中沢新一さんが東京のアースダイバーを終えて次は大阪だといったときに、周囲の関西出身者から受けた助言。


大阪で暮らしているとあまり意識することはないがやっぱりこの辺の感覚は東京とは違うのだろうか。


中沢新一さんは6世紀ごろまでの南朝鮮から北陸、北九州、瀬戸内海沿岸は共通世界をかたちづくっていたと考え、そのエリアを仮にカヤ世界と名付けています。


その感じは地勢的なつながりからは自然に理解できるところです。


ぼくも古事記を読んでからはぼくたちの先祖は遥か昔に朝鮮半島から渡ってきたのではないかと考えるようになっています。


ほかに中国やロシアなどの大陸から直接とか南の海からとかもあると思いますがとにかく日本人は単一の民族だというのは無理があると思っています。


まあ遺伝子的なレベルの話と民族の区分の話は次元が違うのかもしれませんが。


話が逸れましたが、古墳築造をはじめとした高い建築技術を持っていたひとたちはいずれ死にまつわる仕事を司るようになりやがてそれが都市化とともに忌み仕事になってしまい差別されるようになったとか、狩猟に携わっていたひとたちがやがて武具などをつくるようになりその技能もいずれは血に汚された忌み仕事とみられるようになって差別されるようになったとか、そういう差別に対する見方はしたことがなかったので興味深かったです。


これぞアースダイバー的考察の醍醐味です。


ただ、大阪人の弱者への共感の文化とこの差別の問題を考えると、整理できずにごちゃごちゃして混乱してしまうところもあります。


谷崎潤一郎さんが細雪のなかで表現した船場のおとなのエロティシズムとモラル。


織田作之助さんが夫婦善哉のなかで表現した千日前の情愛。


どちらも世間でいわれる通俗的な大阪人の姿ではなくて、ぼくがあこがれる大阪人の姿が描かれています。


最後に中沢新一さんが書いているように、今の大阪は疲弊しきっており、一時は浅はかなポピュリズムと時代遅れの新自由主義の亡霊に惑わされる時期をこれからしばらく経ていくでしょうが、いずれはこの縄文時代から連綿と続く強靭な大阪の原理と理性が再び息を吹き返すであろう、そう願いながら、ぼくも大阪人の端くれとして自由にしなやかに世の中を渡っていけたらいいなあと思います。





――大阪アースダイバー 【エピローグにかえて】――

中沢新一