前回のきらクラ!のBGM選手権でお題になっていた富嶽百景。
曲をあてる箇所は御坂峠からのぞんだ富士の冠雪のシーン。
あれこれふさわしい曲はないものかとCDを物色しつつもいまひとつぴぴっと来ない。
これはひとつ全編を再読したうえで考えようと思い立った。
ほぼ2年ぶりの再読。
名作は何回読んでもいいですね。
富嶽百景のタイトルどおり富士の見え方もさまざまそれを見る主人公の心情もさまざま。
そしてこの作品を読むぼく自身の心情もさまざま。
読むたびに違う部分にこころが惹かれる。
ぼくが太宰治さんの作品を読み出したのはおとなになってから。
10代のころに入れ込むひとも多いというけれどもはじめて読んだときにはなんとなくぼくにはフィットしなかった。
その後、年を重ねてこの作品を読み返すたびにどんどん太宰治さんの描く世界に共感できていく自分に気がつく。
なんだか人生っていうのはほとんどが沈鬱でつまらない代物でありながら、きまぐれに思いがけなくやってくる目の醒めるような爽快感というか幸福な瞬間があるものだから、それだから、やっていけるんだなとつくづく思う。
富士はかわらずどっしりとそこに構えているのにそれを見るぼくたちの心情はふらふらふわふわと覚束なくたゆたってくるくるまわっている。
若い智的の娘さんふたりに頼まれて富士を背景にしたスナップ写真を撮るシーン。
このときの主人公の気持ちなんかほんとうに絶妙に文章にあらわれている。
ここだけじゃあないけどね。
わかるなあ。
――富嶽百景――
太宰治