青くもなく白くもなく青と白とがまだらに譲りあうような霜月も終盤の休日。朝の冷たい空気がそらぞらしくも乾いているので皮膚も眼球も鼻の穴や口腔の内側までもが湿度を奪いに奪われて、奪われた水分のおかげでこの身を包む白けた空気さえもいくらかはほんのりとウェットな感じ、がしたとしたらそれは幸せな気のせい。秋の森は赤や黄色や茶色などの暖色に彩られて、ときどき申し訳なさげに常緑樹の緑の葉がうつむいている。この時期の緑はありがたがられもせずに不憫なお邪魔虫。暖色の森の暖色の葉葉のすきまから覗き見える高い空の青とそれを遮る薄い白雲の寒色。流れるせせらぎの水は暖色とも寒色とも言い難く、さりとて水色なんてことは当然ながら寝ぼけた頭でも言い垂れ流すことはすまい。これらの森と空と水の一部になり切りたいと願うこころは、ほんの束の間の思いつきもいいところで、行きつく先は足の疲れと呼吸の喘ぎ。身体が温まるほどの活動的な徒歩は立ち行かず、のろりそろりと踏みしめるからからの落ち葉の小気味よいノイズ。ノイズだって音楽そのもの、って言っていたのは誰だったっけ。かさこそかさこそかしゃかしゃこしょこしょ。枯葉のパーカッションに合わせてどこからともなく聞こえてきたのはバッハの無伴奏チェロ組曲。乾いた冷たい森と気持ちを包み込み寄り添う天上の音楽。もうほかの音は聴こえない。