マジックアワー | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

秋は夕暮れ。


黄昏。


逢魔時。


大禍時。


あるいは

マジックアワー

なんていう言い方も。


魔に逢ってみたり

大きな禍に遭ってみたり

夕暮れには暗に恐ろしい気配も漂ってはいるものの

やっぱり黄昏の感傷的な美しさこそ秋の夕暮れにはふさわしい。


檸檬の私は慣れ親しんだ京都のまちを

錯覚の力を借りて仙台や長崎に見立てることによって

脳内トリップを試みたが

今日の夕暮れにぼくは慣れ親しんだいつもの川沿いの散歩道で

このマジックアワーの力を借りて異界へトリップした。


春には桃色の花びらで咲き誇っていた桜の並木道。


いまは赤や橙に染まった葉で鮮やかに飾られている。


そこに斜め15度の秋の夕暮れの西陽を浴びたからさあたいへん。


いつもの散歩道とは似ても似つかぬ幻想的な光景が目に飛び込んできた。


およそ目に見えるものはすべて光の反射であるとはいうものの

やはり太陽の光にまさる光なし。


時間にしてほんの数分

距離にしてほんの数十メートル

ではあったが思いがけずうつくしい絵画か写真のなかに迷い込んだような

不思議な気持ちになることができた。


ところで

散歩の道すがらいつものように聴いていた

きらクラ!

では先々週からのアルヴォ・ペルト祭りが続いていた。


ふかわさんが紹介してくれた

ゴダールさんの

時間の闇の中で。


家に帰ってからさがしてみたら

それらしきものを見つけた。


Ten Minutes Older The Cello


確かに

鏡の中の鏡

が流れているけれども果たしてこれでいいのかしらん。


ゴダールさんの作品はやはりぼくには芸術性が高過ぎて

正直なところいまひとつピンとこない。


あと

ふかわさんが番組の中で言っていた

闇の字はなぜ門の中に光ではなくて門の中に音なんだろう

っていうのがどことなく意味深長で考えさせられてしまった。


文字に秘められたひとの原初的な感性。