ああ、あかん、だいぶ衰弱してきたわ、このぶんやともうちょっとしたら海に溶けてしまうやろな、ぼくのからだ。死んで海とひとつになる、ってゆうたらきこえはええけど、ひらたくいえば消えてなくなるってゆうだけやもんな。まあそれも潔いっていうか、すっきりしててええねんけど。
海中から見上げるとマリンブルーの水のゆらめき、波のさざめき、光のきらめき、めきめきめき。見下ろすと青はどんどん深くなり、光をのみこみ、音無き音がごうごうと唸っている。
こんなに広い海やのに、見渡す限りおよそ生命体とおぼしきものはみあたらず、ただひとり、衰弱するぼくのからだ。なんでこんなところまでひとりぼっちで流されてきたんやろ、あのときかっこつけて集団からはみだしたのがあかんかったのかな、ぼくは大衆主義には流されへんねん、なんてゆいながら。
みんなといるのはわずらわしいし、ひとりでいるのはさびしいし。
もう触手もほとんど溶けてもうてるし、傘かって半分やられてもうてるわ。こんな状態でも意識があるってゆうのんはわれながら不気味とゆうか逞しいとゆうか。いやまあ不気味やねんけどね。死ぬときには走馬灯のように人生の思い出が呼び起こされるってゆうけど、別にそうゆうわけでもないなあ。普通にいつもどおりしょーもないことが思い浮かぶだけやわ。
そして徐々にクラゲのからだは溶けていき、生命のスープの仲間入りを果たす。果たす。果たす。
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果たして。
オギャー。
ゆうてみただけ。そうや、思い出したわ、ぼく、普通のオーソドックスなクラゲとちゃうかってん。ベニクラゲゆうてね。普通のクラゲは衰弱したら海に溶けて消えるねんけど、ぼくは衰弱したら“ポリプ”ってゆう成長段階のものに若返るんやったわ。ってなんか説明口調になってるけど誰に説明してんねんやろ。自問自答?まあええわ、そういうわけで“ポリプ”になったぼくはまたしばらくしたらベニクラゲになるはずやねん。ぼくの人生、これの繰り返し。衰弱→ポリプ→ベニクラゲ→衰弱→ポリプ→ベニクラゲ→衰弱ってこれの繰り返し。
ここで哲学的に問うてみるとしたら、こんなんどう?再生したベニクラゲは衰弱する前のベニクラゲと自己同一性を保っているかどうか、って。これは難しい問題やで。どっちがええか、やねんけどな。以前の記憶を失って再びあたらしい生命として生きるのがええのんか、以前の記憶を持ったまま若返るのがええのんか、ってことやね。これは好みが分かれるかもしれへんね。自分やったらどうかってゆうのんと、好きなひとやったらどうかってゆうのんは、もしかしたら感じ方が違うかも知れへんけどどうやろう。
まあええわ、ぼくはひとまず、以前のことは知らばっくれてあたらしい気持ちで何食わぬ顔をしながらいけしゃあしゃあと同じことを繰り返すことにしとくわ。ほんならまた。じゃあねー。