文化庁が実施した平成23年度の国語に関する世論調査の結果がおもしろい。
↓
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h23/pdf/h23_chosa_kekka.pdf
いつもなら新聞記事でみて
へえ
と思うぐらいで通り過ぎるのだが
ちょっと気が向いたので概要を読んでみた。
全23ページなので読もうと思えば読めないこともない。
言葉のつかい方について
の項で
ふだん自分自身の言葉遣いについてどの程度気をつかっているか
を尋ねた設問では
気をつかっている
と答えた人は平成16年度の調査と比べて7ポイント増加の77.9パーセントになっている。
年齢別にみるとさらに興味深い。
16~19歳で
気をつかっている
と答えた人の割合は
平成16年度の調査では57.8パーセントだったのが
今回は83.3パーセントとなんと25.5ポイントも増加している。
いっぽう
ほかのひとの言葉遣いが気になるかどうか
を尋ねた設問では
全体でみると
気になる
と答えた人の割合は
平成19年度の調査と比べて4.7ポイント増加して75.7パーセントになっているけれども
16~19歳だけは
6ポイント減少して62.8パーセントになっている。
おおよそ全体の7~8割のひとが
自分の言葉遣いに気をつかったり
ひとの言葉遣いが気になったりしているけれども
16~19歳のひとは
自分の言葉遣いについては8割のひとが気をつかうものの
ひとの言葉遣いについては6割のひとしか気にならない
ということになる。
この数字をどう読むか
ということだけど
ぼくの皮膚感覚では
若いひとは
自分が無礼なひとと思われたくない
という気持ちが強まっているように感じる。
それもこれも萎縮社会のせいだと思う。
ぴりぴりしながら生きている若いひとが多い時代になっているのではないか。
あるいは若いひとがぴりぴりせざるを得ない社会。
お気の毒に
と思う。
いつの時代でも10代は必要以上に自意識過剰になってぴりぴりしているものではあるけれども
ひとの顔色ばかりうかがっていては息が詰まるというか小さくまとまっちゃうというか。
いや
もちろんぼくは
語の意味だけでいえば
自分の言葉遣いに気をつかう
っていうのは常識的な行動であってむしろ好ましい傾向ではあるとは思うけれども
どうもその気をつかう動機が不健康なのではないかと思えるのである。
川上未映子さんの詩に
少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ
っていうのがあるけれども
そのなかの1節を思い浮かべる。
/湯の中でおしっこするのが特別気持ちがいいとは思わないけどあたしはときどきこっそりとやっていたおしっこを/あたしはお母さんにいわれてやめたんです/それから毎日苦しくて/いいえおしっこ出来ないことが苦しいのではないのです/お母さんにいわれたことでやめているそのことが本当に苦しいんです/おしっこをしない人は<したくないからしない人>と/<したいけど怒られるからしない人>の/ふたつがあるって思うんです/あたしは前者がうつくしい/あたしは後者が汚らしい/お母さんの命令でしないでいることが愚かしい/
何がいいたいかっていうと
どうも自分の言葉遣いに気をつかう理由が
相手を思いやってとかコミュニケーションを円滑にするためとかいうのではなくて
相手に嫌われないようにとか場のコミュニケーションを乱さないようにするためとか
似て非なる微妙なネガティブさゆえなんじゃないかって気がするってことです。
ぼくは前者がうつくしい
ぼくは後者がしょーもない
そんな感じです。
あと思い出したのがロンドンオリンピックでの日本人選手たちの試合後のコメント。
自分の気持ちというよりも支えてくれた周囲のひとたちへの感謝のことばが多く聞かれていました。
このこと自体はまったくもって素敵なのですが
どうもこれにも同じ気配が感じられるのです。
うかつに自己主張してメディアや世間に叩かれるよりも
無難にそつなく感謝しておけば安心というような。
まあこれも
うがったものの見方(誤用)
ですけどね。