眼鏡がなければコンタクトをつければいいじゃない。
コンタクトがなければレーシックを受ければいいじゃない。
以前はコンタクトをつけていたこともあったが
近頃はもっぱら眼鏡一筋。
朝起きてまず眼鏡。
夜眠る直前まで眼鏡。
災害が発生して眼鏡を失ったら
生命存亡の危機に相違ない。
とにもかくにも眼鏡が手放せない(耳放せないあるいは鼻離せない?)ぼくなのである。
昨夜
いつものように眠りをいざなう読書を終えて
さておやすみなさい
と眼鏡を外したあと
そういえば昨日は満月だったよな今夜もまだまるい秋のお月様が拝めるかな
なんて裸眼で窓から月を見上げてみた。
すると
でかい月が空に浮かび上がっているではないか。
いつもより直径にして5倍くらい大きく見える。
直径で5倍ということは面積でいえば何倍?
面倒なので計算はしない。
できないのではない。しないのだ。
計算はともかくとして
月の大きさに面食らう。
そういえばさっき夜食に麺を食べたっけ。
麺食らう
なんちゃって。
お
秋の風がすきまから吹いてくるぜ。
それにしても月って裸眼で見るとこんなに大きいんだな。
眼鏡で見たほうが小さいってなんだか変だな。
でもいいことを発見した。
大きいことはいいことだ。
これからの月見は裸眼に限るな。
そういえば羅漢というのは
尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことらしいな。
(Wikipedia情報)
裸眼の羅漢
なんちゃって。
お
秋の風がすきまから吹いてくるぜ。
目を細めてみると
月がいつもの大きさに戻っている。
直径にして5分の1くらい。
直径で5分の1ということは面積でいうと何分の1?
面倒なので計算はしない。
できないのではない。しないのだ。
目を見開いたり細めたりを繰り返すと
まるい月が大きくなったり小さくなったりする。
あ
と思い至る。
よく見ると大きく見えるときには月がぼやけている。
しかも大きくひとつがぼやけているというよりは
いくつかの月がぼやけて集まっているように見える。
そう
ぼくは乱視だったのだ。
思い出した。
乱視のおかげでひとつの月が何十個にも見え
それらがおぼろに集まってひとつのおおきなまるい月のまぼろしを
ぼくに見せているのだ。
ああよかった。
月が肥大化しているわけでも
眼鏡で矮小化されているわけでもなかったのね。
こうしてぼくは眠りについたのだった。
今夜もきれいな月が見られるといいな。