文學界9月号で
上野千鶴子さんの連載評論
女たちのサバイバル作戦 ネオリベ時代を生き抜くために
第6回 ネオリベが女にもたらした効果 カツマーとカヤマーのあいだ
を読んだ。
ぼくは
上野千鶴子さんの考え方に触れるたびに
ことばのひとつひとつが
ぐさっぐさっと胸に突き刺さっている。
連載を読んでいるわけではなくて
この回だけを読んだのだが
圧倒的な論理展開だった。
少ないページ数で
内容が濃く
しかもわかりやすく
ポイントが正確。
端的で精緻。
かしこいひとが
経験と知識と思考を積み上げていくと
こういう評論が書けるのだとおもうと
気が遠くなる。
ネオコンということばは知っていたけど
ネオリベということばにはここではじめて触れた。
世はそういう時代になっているのね。
男女雇用機会均等法がもたらしたものは
結果の平等ではなくて
機会の平等。
これは実は
男有利のルールのゲームに女も参入せよ
という内容。
昔の女性は
仕事か家庭かどちらかで成功すれば認められていたが
今の女性は
仕事も家庭も成功しないと認められない
という風潮になっているらしい。
うんなんとなくそう思う。
そして母親の呪縛から逃れられない女性が増えているともいう。
昔の女性は
母親からの呪縛は家庭の問題だけであったが
男女雇用機会均等法によって
女性の社会進出が進むと
母親は息子に求めていた社会的成功を娘にも求めるようになり
娘を息子化していった。
娘にかけた教育投資を回収せねば納得できなくなった。
さらに母親の時代は
仕事をしたくても家庭に閉じ込められていたために
納得できないまま自分の能力が奪われたという恨みを持っているため(ルサンチマン?)
チャンスがある娘には嫉妬と期待が入り混じった感情が湧くのだという。
けれどもそもそもそのチャンスというのは
男有利のルールのゲームのなかでのチャンス。
そのゲームに勝とうと思うと
男の比ではない労力を傾けないといけない。
そこではそもそも勝てる見込みなど少ないにもかかわらず
勝てなかったのは自分の能力のなさゆえ
などと負けを認めるように教育されてきているらしい。
ああなんだかぼくがまとめようとしても
うまく伝えられていません。
ぼくのジェンダー認識もここまでか。
女性であるがゆえの苦悩を感じていられる方
女性の苦悩を自分の問題として認識したい方
そんな方は文學界で
上野千鶴子さんの
流麗な論理的思考の展開を体験していただきたい。
勝間和代さんと香山リカさん
それぞれのシンパのひとびとの考え方とあわせて
とてもわかりやすくまとめておられます。