人生には笑ってはいけないときがある
ということを小学校の国語の朗読の授業で学んで以来
ぼくの状況観察の視線はますます鋭くなった。
ほとんど笑う場所をまちがえることはなくなった。
笑いのプロといっても過言ではない。
笑わせるほうじゃなくて
笑っていい場面かどうかを見分ける
という意味で。
おとなになってからはさらに技に磨きがかかり
おもしろくても笑ってはいけない場面はもとより
おもしろくなくても笑うべき場面まで
瞬時に判断できるようになった。
そういうわけで
つまらない上司の冗談にも
演技でなく心から笑える技術を身に着けたのは
ひとえに小学校からのたゆまぬ努力のたまものだ。
お追従笑いなんていわせない。
笑うべきところで笑っているに過ぎない。
この世知辛い世の中の潤滑油となっていることを誇りに思う。
しかし
そんなぼくも一度だけ窮地に陥ったことがある。
同僚の結婚披露宴。
宴もたけなわ
いよいよフィナーレ。
新郎新婦がそれぞれの親に感謝のことばを送る場面。
あいさつの冒頭
ぼくの同僚たる新郎がこう言った。
「お母さん、ぼくを3,000キログラムで産んでから(うんたらかんたら)」
すごくいい場面なんだから聞き流せばよかったものの
ぼくの研ぎ澄まされた鋭敏な聴覚は
3,000キログラム
ということばに
いたく反応してしまった。
こんなにいい場面で3,000キログラムっていう言い間違いはあかんやろ。
っていうか3,000キログラムのあかちゃんってどうなん?
うかつにも想像してしまったぼくは
小学校の国語の授業以来の
腹筋痛いよーシンドロームに陥ってしまった。
あかん
だれもこの言い間違いに気付いてへんみたいやし
話そのものは両親への感謝の気持ちにあふれたとてもいい内容やから
ここで笑ってしまったら披露宴はぶち壊しや
なんとしても平常心を取り戻さなあかん。
腹筋を握り拳で抑えながら堪えるぼく。
よせばいいのに
うっかり同じテーブルに座っている別の同僚が
腹筋を抑えながら必死で笑いを堪えている姿が
視界に入ってしまう。
やばい
デジャヴュやん
このパターンはあかんパターンやん
小学校の国語の朗読の授業のときは女の子に謝って許してもらえたけど
めったに経験できない披露宴をぶち壊したら
謝っても許してもらわれへんやろうなあ
大ひんしゅくを買うやろうなあ。
危機打開のため
ひとまず同僚を視界から外し
うつむいて自分の世界に閉じこもる。
笑うな笑うな笑うな
平常心平常心平常心
深呼吸深呼吸深呼吸
すうーーーーーーーーーーーーーーーーっ
はあーーーーーーーーーーーーーーーーっ
すうーーーーーーーーーーーーーーーーっ
はあーーーーーーーーーーーーーーーーっ
すうーーーーーーーーーーーーーーーーっ
はあーーーーーーーーーーーーーーーーっ
繰り返すうちに意識は笑いのツボから帰還し
危機を脱することができた。
無事に披露宴が終わり
参加した同僚たちと感想を言い合いながら会場をあとにしたのだが
3,000キログラムとの言い間違いに気付いたのは
ぼくともうひとりだけだった。
そして2人で笑いを堪えたお互いの精神力を讃えあったのだった。
めでたしめでたし。
ところで
この話には後日談があり
ぼくの同僚たる新郎はあとで彼の母親に
さすがに3,000キログラムではよう産まんわ
と言われて自らの言い間違いに気づいたそうな。
お母さんのユーモアと精神力にも敬意を表したい。