豊饒と荒廃 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

アースダイバーでわかった、大阪のこと

を聴いてきました。


中身の話はあらためるとして

お話を聴いた後にぼくが考えたことなどを

メモしておきます。


中沢新一先生たちのお話を聴いて

なんだか豊かな気分になりながら

会場の北御堂をあとにしたぼく。


外は夜の雨。


やっぱり大阪人の持ち味は

他者を受け入れるやさしさと

良いものを採り入れるかしこさと

権威を嫌う水平思考なんだよな

なんて考えながら

折りたたみ傘を広げる。


北御堂の階段を

滑らないように気をつけながら歩く。


歩きながら

やめておけばよいのに

うっかりと

自分に問いかけてしまった。


ほんとうにそうか?


いまのぼくには

他者を受け入れるやさしさも

良いものを採り入れるかしこさも

権威を嫌う水平思考も

どれもないのではないか?


やさしくないあれやこれや

かしこくないあれやこれや

権威におもねるあれやこれや

そんな自分のあれやこれやが

次々と思い浮かぶ。


そして自分自身にがっかりする。


なんでこんなになっちゃったんだろう?


やさしくないのも

かしこくないのも

権威におもねるのも

すべてぼくに余裕がないせいだ

と思ってみる。


荒廃した心象風景。


余裕なんて

あるとかないとか

そういう問題じゃないとはわかっているものの

現実的に余裕がない状況に

陥ってしまっている。


それはなぜかと考えていたら

グローバリズムということばが

ヒットした。


ああ

グローバリズム。


グローバリズムのせいにしておけば

すべてまるくおさまるような気がした。


地球規模のパイの奪い合いとなれば

そこには勝者と敗者が生まれるのが

必然。


グローバリズムの進展によって

常に競争にさらされているから

余裕がないのだ。


ぼくなんかの塵みたいにちっぽけは人間では

どうしようもないんだ

と考えることによって

がっかりすると同時に開き直ったりもする。


いやまてよ。


わざわざグローバリズムなんて

地球大の現象を引っ張り出すまでもなく

人間のコミュニティは

人類が発生してから拡大の一途を辿ってきたのでは

なかったか。


昔がどうとか今がどうとかに関わりなく

コミュニティの拡大が産み出す

勝者と敗者という二元論的な価値観から

いかに遠く離れて自由でいられるかが

ぼくの人生の鍵となるような気がしてきた。


グローバリズムのせいにしてもしかたがない。