ヒトよりヒトらしいロボットとヒトらしからぬヒト | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

学生の時にもっとまじめに勉強しておけばよかった

と思う場面はしばしばあり

ときどき思い出す授業なんてのもある。


ロボットとヒトの違いを挙げよ


っていう授業があって

そのときは

ばかばかしい理屈だなあ

と思いながら先生の話を聴いていた。


だって

ロボットはロボットだからロボットなんじゃん

ヒトはヒトだからヒトなんじゃん

としか言いようがないと思っていたから。


でも

いろいろと世間の波にもまれているうちに

ロボットとヒトの区別っていうのは

実はあいまいなんだと気づきはじめた。


たとえば

銀河鉄道999

じゃないけど

ヒトの肉体を少しずつ機械化していったら

いつまでヒトでいられるのか

いつかはロボットになってしまうのかどうか。


からだのどこが残っていたらヒトといえるんだろう。


もしも

ぼくの歯が一本残らず抜けてしまって

入れ歯になってしまったとして

入れ歯とぼくの間に境目はあるのか

っていうようなことをいろいろと想像していくと

衣服とぼくの間の境目とか

からだとぼくの間の境目とか

あたりまえと思っている境界が

にわかにあやふやになっていくのを感じる。


まだ読んでいない本で

おもしろそうなのがあって

その本には

ヒトと人工知能がチャットしている様子を

第三者のヒトが文字情報だけを観察して

どちらがヒトでどちらが人工知能かを識別する

っていう実験のことが書かれているらしい。


いまでは人工知能はかなりヒトらしくなってきていて

チャットのやりとりだけでは

ヒトか人工知能かわかりにくくなってきているらしい。


ぼくたちのおなじみのブログ記事なんかも

もしかしたらどこぞの人工知能が書いているものかもしれないし

コメントのやりとりなんかも実は人工知能相手にやっているのかもしれない。


実験の話に戻ると

多くのヒトがヒトだと間違うような優れた人工知能の開発者にはもちろん栄誉が与えられるのだが

もっともヒトらしいと認められたヒトにも賞があるらしい。


人工知能はまだ

相手の話をさえぎったり

相手の話を無視して一方的に話したりすることが

苦手なんだそうだ。


ああこの皮肉な結果。


ヒトがヒトらしくあるためには

多少のおとなげなさも必要なようだ。


おとなげのあるぼくは

ヒトよりも人工知能に近いのかもしれない。


もしかしたらぼくは

自分をヒトだと思い込んでいる人工知能だったりして。