速さよりも遅さこそが世界を多様にしている | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

はっくしょん

ひっくしょん

ひっぐしん

ひっぐすん

ひっぐす


ヒッグス粒子。


そんなのを世界中の学者さんたちが

探しているってこと自体が初耳でした。


光より速いかもしれないという実験結果を

検証中のニュートリノとか

先日の皆既月食とか

今年は光にまつわる宇宙的話題が

印象に残っています。


あんまり真剣に勉強する気はないので

どのみちすぐに忘れてしまうのですが

ビッグバンの直後に飛び回っていた

素粒子たちは光と同じ速さだったと。


それが突然

宇宙空間に満たされたヒッグス粒子によって

素粒子たちが抵抗を受け

その結果

光など一部を除く素粒子たちの飛行速度は遅くなり

質量が生まれたと考えられているとか。


このあたりの考え方だけでも

ぼく好みのテーマであるのです。


ぼくたちが今の姿でここにとどまっていられるのも

あらゆる物質がかたちを持って存在していられるのも

すべては素粒子たちに抵抗を加えて遅くさせた

うわさのヒッグス粒子のおかげであるのだなあ

なんて思うとなんだかうれしいのです。


もしヒッグス粒子が突然現れずに

素粒子たちに抵抗が加えられなかったとしたならば

いまだに素粒子たちは光の速さで

ひとつところに留まることなく

飛び回っているだけなのかもしれません。


なんのかたちも生み出さずに。


速いことが善とされる現代社会に

いまひとつ居心地の悪さを感じているぼくなんかは

この話から

抵抗を受けて遅くなることにより

多様な存在が生じているのだ

という寓意を無理矢理に読み取って

ほくそ笑んだりするわけです。


そういうわけで

遅きことに乾杯。