いやほんとうにいらいらするやつなんだよ
ホールデンってやつは。
サリンジャーさんの作品ってさあ
読書好きの人なら必読
みたいな雰囲気があるじゃない?
でも読んでなかったんだよね。
読もう読もうとは思っていたんだけど
なかなか機会がなくってね。
でようやく読んでみたってわけ。
初サリンジャー。
ちなみに村上春樹さんが訳したやつで。
村上春樹さんの作品もサリンジャーさんと同様に
なぜだか今まで読んでなかったから
初づくしになるんだよ。
まあそんなことはどうでもいいか。
ちょっとホールデンっぽく書こうと思っているので
文章が気持ち悪くなってるな。
とんだ失敗だね。
最初に書いたけど
ほんとうにホールデンにはいらいらさせられるんだよ。
いいかげんに目を覚ませよ
現実をみろよ
って読みながら何度も思ってた。
そりゃあぼくにだって
ホールデンみたいに
世の中のすべてをくだらないって
ののしっていた時期もあったよ。
いわゆる思春期ってやつだね。
ここまで酷くはなかっただろうけど。
思春期の人たちがこの作品を読んでしまうと
このホールデンっていう若者が
自分とそっくりに感じるんだろうよ。
そういう意味じゃ永遠の青春小説として
成功している作品だよ。
うん
それは認める。
よくできてる。
でもホールデンは
そんな思春期の若者からの共感も
拒否してると思うんだ。
これって
ぼくの苦悩はみんなの苦悩とは違うんだ
って感じでなんだか鼻につく。
この
他の誰とも違う自分
っていう考え方自体が
甘ちゃんの青二才そのものなんだよね。
確かに思春期には
なんでもできる全能感と
なんにもできない無能感の両極端を
いったりきたりするナイーブな側面が
あるとは思うんだ。
そりゃあぼくだって
他人から
おまえは思春期だからなあ
なんてひとくくりにされたら
気持ちが悪くなって吐きそうになってたよ。
インチキなおとなや世界に
恨みすら抱いていたと思う。
今思えばそれは
やっぱりみんなが通る
思春期
そのものだったんだけどね。
でも渦中にいる人にそれを言っても
暖簾に腕押しなだけで
かえって反発をくらっちゃう。
ホールデンのこのいらいらは
世界やおとなに対してというよりも
自分自身に対するものなんだとしか
思えない。
そんなんだから
世捨て人然に暮らしたい
なんて思っちゃう。
ぼくだって思春期には
世捨て人に憧れていたもの。
でも実は世捨て人ってのは
贅沢なポジショニングなんだぜ。
誰でもなれるって代物じゃないのさ。
作者のサリンジャーさんは
実際世捨て人になっちゃってたらしいけど
信頼していた少女に裏切られたとか
いろんな逸話もちらほらと耳に届くよ。
そういえば
巻末にこんなことが書いてあった。
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本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原作者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です。
訳者
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サリンジャーさんのこだわりがよく表れているよね。
勝手におれの小説を解説してくれるな
小説は書いたおれと読んだ読者だけのものだ。
ってぼくは感じたんだけどこの解釈自体
きっとおわらいぐさだよね。
まあ
なんだかとりとめもないことを
だらだらと書いてしまったようだけど
とりとめのないだらだらこそが
青春時代だってことで
見逃してくれると嬉しいんだけど。
-キャッチャー・イン・ザ・ライ-
J.D.サリンジャー
村上春樹 訳