祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり
とか
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり
とか
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
とか
むかし、をとこありけり
とか
春はあけぼの
とか
つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて
とか
いまは昔、竹取の翁といふもの有けり
とか
いづれの御時にか
とかいろいろありますが
ぼくが好きな書き出しの古文はこれ。
月日は百代の過客にして、
行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、
馬の口とらえて老をむかふる物は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、
片雲の風にさそはれて、
漂泊の思ひやまず、
海浜にさすらへ、
去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、
やや年も暮、春立る霞の空に、
白川の関こえんと、
そぞろ神の物につきて心をくるはせ、
道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、
もも引の破をつづり、
笠の緒付かえて、
三里に灸すゆるより、
松島の月先心にかかりて、
住る方は人に譲り、
杉風が別墅に移るに、
草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
松尾芭蕉さんの
奥の細道
です。
日常生活が行き詰まり
旅に出たくなると
この文章が脳裏に浮かび
ループします。
かっこいいですよね。
実際に旅に出たくなる
っていうのもありますが
人生そのものが旅だ
っていうのにも気づかされます。
日々旅にして旅を栖とす
ですもんね。
以前
職場のお気に入りの後輩が
人事異動で転出するとき
さびしさを伝える意味で
行春や 鳥啼 魚の目は泪
ってメールで送ったら
草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
って返信があって
たいそう感激したことがあります。