夕暮れ
小一時間ほどのつもりで
散歩に出かけた。
曇った空は薄墨色で
どの建物の外壁も全体的に灰味がかっていた。
暑くもなく
寒くもなく
蒸してもおらず
乾いてもおらず
風もなく
ちょうどいい天候としかいいようがない
そんな時間帯だった。
こんなときには
羊水のなかの
胎児のことを思い出す。
快適な環境。
あまりのその快適さゆえに
油断するとそのまま堕落の道を突き進んでしまいそうな。
散歩は何かを考えるのにはちょうどいい。
出かける前まで聴いていた
東京事変さんの
新しい文明開化
の音楽が頭の中でリピートしている。
以前
椎名林檎さんが
高田純次さんと対談していたが
そのときの椎名林檎さんが
あまりにも美しすぎて可憐で
かの高田純次さんも
少々たじたじであった。
できることなら
ぼくが高田純次さんの席に座って
椎名林檎さんとふたりきりになりたい
いや
高田純次さんのことも好きなので
むしろ三人で一緒にいるほうがうれしいかも
などとくだらぬことを考えながら
どこまでも薄墨色の世界を歩く。
なんだか無性に悲しくなる。
ぼくは確かに今この瞬間
というより
ここのところ長らくの間
幸福な状況にいる。
けれども実はこの幸福は
いろんなことから目を背けて
逃げ回っていることによりもたらされている幸福
であるということは
誰よりもぼく自身が知っている。
ときどきそのことを思い出しては
どうしようもなく泣きたくなる。
けれどもおとなの男が
道を泣きながら歩いている様子は
いかにも不自然なので
涙までは流さない。
どうしようもないわたしが歩いている
種田山頭火
生まれて死ぬ。
このあたりまえのこと。
眠るときに死に
起きるときに甦る。
こんなふうに生きたい。
もっといえば
目を瞑って死に
目を開いて甦る。
こういう気持ちの切り替えができたら
申し分なし。
そんなふうに考えながら
家に帰ってくると
なんだか胸がどきどきする。
これは
何のどきどきなのか。
いくらなんでも
小一時間の散歩で
動悸息切れしたわけではないだろう。