本 よみうり堂 で
朝吹真理子さんが
ちくま日本文学 坂口安吾
を紹介していました。
その書評が
ぼくの気分にフィットしていたので
なんだか妙に安心しました。
白痴
を
少し先の私たちのすがたを示しているようだ
としています。
いまの雰囲気は
戦争の論理で物事が動いているように
私には思えている
とも。
そして
こんなに不自由で孤独で陰惨な現在を生きるには、
無根拠な希望を掲げるのではなく、
「絶望」を引き受ける意思からはじまることが
必要なのだと思う。
ときます。
ぼくも今の雰囲気は
戦争に向かっていったときの日本の空気と
似通ったものを感じています。
(もちろん体験したわけではなくて
精一杯想像した上での話です。)
そしてそれは
ぼくのような世の中の波に乗りがたいタイプの人間にとっては
危険で居心地が悪いものであるとともに
この状況ではこうなるよりほかに道はない
とも言えるような気がして
結局
善意による大衆のムーブメントというのは
善い悪いとは無関係に
それがあたかも自然の摂理であるかのように
突き動いていくものなのだと
あきらめるより仕方がないと思ってしまいます。
そして
落ち着いた目で検証できるころには
当時のいかんともしがたい大きな流れの存在は
感じ取る術もなく
なんだか虚しい資料と感情の積み重ねになってしまうのです。
とにもかくにも
間接的な影響とはいえ
その影響力はぼくにとっては案外大きくて
もうほんとに自分の生き方あり方が
闇の中に突き落とされたかのようで
日常生活はなんら以前と変わりなく過ごしているものの
こころは土台を失いふらふらとあてもなくさまよっている
ところの現在進行形です。
そこに朝吹真理子さんのような方が
坂口安吾さんの明るい絶望をポジティブに肯定してくれてしまうと
それに乗っかりたくもなるというものです。
絶望
という甘く感傷的な誘惑に。