過剰の功績 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

美容院の待ち時間、新製品がたくさん紹介されている雑誌を眺めた。

同じ携帯電話を5年かそれ以上も使っていて、なんらの不満も持たない身には、新製品の売りである多彩な機能を紹介されても、ちっとも気持ちが動かされない。

けれども、雑誌で煽っているから買うのか、買う人がいるから雑誌で煽るのか、新製品に飛びついて、次から次へと手に入れる人がいる。

物欲なんて虚しい、と一瞬上から目線で見下げてみるが、よく考えれば、これが噂のカフェ・ソスぺーゾ。

新製品を待ち焦がれて次々と購入する人がいるおかげで、技術が進歩し、ある程度製品が成熟した時点で、ほどよい物をほどよい価格で手に入れることができるのだ。

無駄遣いの功績。

いや、買った人は無駄とは思っていないのだが。

そんな些か過剰な購買行動が自粛されると華やかなマーケットはたちまちみすぼらしくなっていくのだろう。

電化製品に限ったことではない。

化粧品や洋服なんかもそう。

もっといえば文化や芸術そのものがそういう性質であるともいえる。

ほんの一握りの売れているミュージシャンや作家、アーティストにだけ光があたっているが、光があたっていない部分にこそ名も知らぬあまたの芸術家たちがいる。

山と同じで、裾野の広い分野ほどその頂上の位置は高い。

無駄とは言い過ぎかもしれないが、売れない芸術が多ければ多いほど、売れる芸術の価値はあがる。

陰と陽。

影が濃いほど光は輝く。

バブルのころは、メセナとか余暇の充実とか文化の発展に追い風になるようなことが多かった。

それこそ無駄遣いのおかげで発展した文化というのもあるのではないか。

もっと過剰が必要だ。

足るを知るなんてそんなの必要なし。

カナコはそう心に決めた。

というのも、近頃節約疲れで気が重くなっていたからだった。

思い立ったら即行動。

新しくオープンしたステーション・シティに繰り出し、買い控えていた洋服や化粧品を、次から次へと買いあさり、どんどん物欲を満たしていくのだった。

物欲が満たされるとともに、幸福感も満たされてくるから不思議だ。

物欲万歳。

こうなりゃ市場の奴隷とでもなんとでもいうがいい。