ほぼ日刊イトイ新聞の
のページにある
糸井重里さんによる
「寄付に関して書いた6つのツイート」
を読んで考えました。
まさに価値転倒。
自分の自己満足のハードルを上げられました。
糸井重里さんの考えは引用しませんが
ちょっと思ったことを書きます。
義援金とか寄付とか募金とか
いろいろありますが
どのくらいの金額をするべきか。
ある程度の収入があるのなら
少なくともコインじゃないだろう。
確かに。
寄付には自己満足の側面があると思います。
けれども
安易に自己満足できてしまうと
感情的に
そこで終わってしまうので
むしろ
自己満足なんて簡単にはできない方が
いいと思います。
唐突ですが
自分の労働を寄付に換算する
っていうのはなかなか新しい考え方だと
思いました。
ボランティアに行け
ってわけじゃなくて
自分がした寄付は
自分が労働で得た収入の
何時間分あるいは何日分に相当するか
って考えてみるという。
たとえば
1か月に20日働いて20万円の収入が
ある人ならば
1万円寄付すれば
1日分の労働を寄付した
っていうイメージです。
1万円の寄付っていうと
ぼくなんかは
すごい金額だな
と今まで思っていましたが
たった1日分の労働だと考えると
急に陳腐な金額に思えるから不思議です。
被災地ではあんなにも苦しい状況が
何日も続いているのに
自分がした寄付はわずか1日分の労働なのか
って。
千円だったらわずか1時間にも満たないと。
そういうわけで
少々の金額を寄付しただけでは
自己満足できなくなってしまったわけです。
自己満足できないと
被災地に対して負い目を感じ続けることになるので
被災地への関心が風化しにくくなると思います。
糸井重里さんのように
うまくはいえませんが
そんなふうに感じました。