快楽物質への反抗 | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

人間は

快楽物質に支配されている


っていいたくて仕方がなったので

いってみました。


食欲とか性欲とか

マズローの欲求段階説でいうところの

最低レベルの欲求ですが

これらの欲が満たされると

快感ですよね。


あれは

脳の中に

ドーパミンだかなんだかそのたもろもろの

快楽物質が分泌されているからなんですよね。


好きなものを食べたり

好きな人と触れ合ったりすると

気持ちいいわけです。


もし

好きなものを食べたときに

不快物質が分泌されたら

どうなるでしょう?


快楽物質が分泌されるから好きなのか

好きだから快楽物質が分泌されるのか

それはともかく

不快物質が分泌されるなら

もう食べないでしょうね。


ん?

良薬は口に苦し

っていうのもありましたね。


でもあれは

苦いけれどもその結果

身体の健康が回復するということで

結局

快楽物質が分泌されるのでしょう。


ならばセックスが嫌いでも

可愛い子どもを授かるためなら

我慢してするという図式も成り立ちますね。


手段としてのセックスか

目的としてのセックスか。


子どもを授かることで快楽を得るのか

セックスそのもので快楽を得るのか。


こうなればひとそれぞれとしかいえませんね。

いえませんか?


人類の幸福に寄与する行動だけに

快楽物質が分泌されるのなら

さぞかし人類は幸福になるんでしょうけど

破壊によって快楽を得るってことも

ありますしね。


人間というのは不思議な存在です。

何らかの目的を持って存在しているのでしょうか?

それとも何かの気まぐれ?


書き始めに思っていたことと

書き終わりが違っていますが

これも成り行きということで。


そんなあやふやなことを

思い浮かぶままに垂れ流した

そんな秋の雨の夕暮れ。