死にたいという人に対して咄嗟に何かをいわなければならないとすれば | (本好きな)かめのあゆみ

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かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

まあ落ち着いて


と言いたい。


普段ぼくは

自らの死について

自分で決める自由があるということを

前提として

それでも


自然に死ぬまでは生きよう


と考えています。




池上彰さんの


相手に「伝わる」話し方


の中に載っていたこんなエピソードを

読んで考えました。


以前

池上彰さんが

司会をつとめた


いま私たちにできること-中学教師徹底討論


というNHK教育の番組の生放送中に

視聴者のこんなファックスが届きました。


15歳 男子

と書かれたファックスには


親も教師も学校も何も変わらなくていい。

この世から苦痛なく消え去りたい。

安楽死を合法化して欲しい。


といった趣旨のことばが

続いていたそうです。


これに対して

池上彰さんや

先生たちが

咄嗟に番組の進行を変更して

ファックスの送り主に

メッセージを送り、

さらに

送ったメッセージに対して

他の視聴者からの反応が

返ってきていました。


そのやりとりの内容は省きます。


でここからぼくの意見です。


死にたいという彼の苦しみが

どのようなものなのかは

分かりませんが

かなりの人数の人が

過去に死にたいと思った経験があって

でも現在

生きていて良かった

あるいは

死ぬほどでもなかった

と思って暮らしているような気がします。


あのときに死んでおけば良かった

と思うのは稀なケースではないかと。


死ぬということは

追い詰められているときに

選ぶ選択肢ではなくて

平静を取り戻したときに

考えた方がいいでしょう。


ぼくとしては

この世でやりたいことをやってしまったら

寿命が来る前でも

死んでもいいかなと思っています。


家族を悲しませたくはないので

事前に説得はします。

やることはやったから祝福をして

見送ってくれ、と。


まあ結局

この世でやりたいことをやってしまえる

なんてことはないので

時間切れまで

生きているとは思いますが。