以前、
はえぎわ4LDK さんが
話題に上げていたので
久しぶりに読んでみました。
ぼくも
大空を思いのままに
飛びたいから飛ぶ
ジョナサンの
滑稽なまでに
清清しく
潔い
まっすぐな
気持ちが
少年時代の
自分の気持ちに
フィットして
好きでした。
で、おとなになった今
あらためて読んでみて。
Part 1 は
やっぱり
ストレートな若さが
少年の頃のイメージと重なって
爽快でした。
共感するよ、ジョナサン。
が
Part 2、3 は
記憶の中のイメージと違って
正直いって
残念でした。
ジョナサンにそのつもりは
ないんだろうけど
どうも
群れのかもめたちに対して
上から目線で
鼻につきました。
かもめとしてあるべき自由な魂へ
ぼくが導いてあげる
っていう感じです。
確かにジョナサンは
ストイックに
飛びたいから飛ぶ
を極限まで実践していくんですが
それが
全てのかもめたちに対しても
善
であるかのように考えるのは
ちょっと
独善的なんじゃないの?
と。
ぼくの好みとしては
誰からも理解されなくても
ひとりっきりでも
飛びたいから飛ぶ
ことを楽しみ続けて
欲しいです。
同じ志を持つかもめと
ともに
研鑽するのは
いいんですけどね。
ちょっと
おしつけがましさが
世界に対する
アメリカっぽいな
という印象を持ってしまいました。
ジョナサン
きみは何ゆえに
上(神)
の視点に立ってしまったのか?
翻訳者である
五木寛之さんの
あとがきも
酷評。
酷評しながらも
翻訳を引き受けるには
それなりの理由が
あったようですが。
子どものころに
好きだった人と
おとなになって
出会うと
こういう
ほろ苦いことも
起こります。
でも
Part 1 は
すごく
活きが良くて
好きなんですけどね。
-かもめのジョナサン-
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