自由は、能力のあるもの、力のあるものが、真に持ち得る。
自由を得るために、人は努力し、力をつける。
真の自由は、力のあるものが持つことができる。
真の自由を得るために、人は努力する。
不自由だと嘆くのは力がないから。
一生懸命にやるのは自由になるため。
一生懸命にやっても自由になれないのなら意味がない。
自由になれない一生懸命には意味がない。
一生懸命にやることそのものが目的なら、一生懸命にやることには意味がない。
さまざまな束縛、制約から解き放たれて、自由になるために努力をする。
生きるために働くのではなく、自由に生きるために働く。
自由であるということは、やりたいことをやる自由があるということであり、やったことに対して責任をとることができるということである。
責任をとれないものに自由は与えられない。
責任をとれる範囲内にしか自由はない。
責任をとれる範囲を広げるという努力が、自由の範囲を広げることにつながる。
自分にその自由があることを、周囲に認めされるための努力も必要だ。
自らが努力して求め、それを周囲から与えられるものが自由だ。
私は自由になるために、努力をしているだろうか。
不自由を他人のせいにしていないだろうか。