今日、ばあちゃんの葬式でした
朝から変な気持ちでした
ばあちゃんがなくなっているのはわかっているけど、
どっかではまだ理解できていない感覚だった
葬式が始まっても
実際に体と気持ちは別みたいな感じ
焼香をする意味や行動、
お辞儀をすること、
合掌すること
ちゃんとわかってはいるつもりだけど、
なんで自分はこういうことをしているのか、っていうのが
理解できなかった
ただ誰かに動かされているような感覚と言えばいいんだろうか
でもね、
涙があふれてくるんだよ
たくさんたくさんあふれてきたよ
ばあちゃんとの思い出を思い出したり、
今のばあちゃんはどういう気持ちなのかな、とか
ばあちゃんにしてあげたかったこととか
心の中がばあちゃんのことでいっぱいになったら
たくさん涙があふれてきた
すごく切なくて
あたたかくて、
寂しくて、
かなしい気持ち
火葬場でも同じだった
いろんなことが最後だったから
最後に顔を見ることだってそうだし、
火葬される最後の棺桶を見るのも
今日だけでたくさん涙が流れた
最終的にお骨になったばあちゃんを見るのは本当に悲しかった
人間って本当にこんなに軽くて、脆い存在になってしまうのか、って
でも、魂はどっかにあるのかな、っていうことも思った
生きるってなんだろうか
いつかは死んでしまう
なのに、生きる
生きた先には死が待っている
その間にたくさん愛されたり、
涙したり、苦しいこともあるし、
楽しいこともある
生きるって本当に大変なことだ
でも、みんな生きている
いつか死んでしまうっていうことを知らないみたいに
ばあちゃんは幸せだったのかな
最後まで施設で寝たきりで
話すこともできなくて、
ご飯を口から食べることもできなかった
長い年月の間寝たきり生活をしていたばあちゃん
その中で何を感じて、何を思い、
何を見出して生きていたんだろうか
最後までばあちゃんの考えていることや
聞きたかったことも聞けないまま空に旅立った
でも、ばあちゃんは愛されていたのは確かだと思う
たくさんの人が葬式に参列してくれたし、
たくさんの人が涙を流してくれて、
本当に悲しい気持ちを抱いてくれたり、
寂しい気持ちをばあちゃんに見せてくれた
その姿をばあちゃんは見れないのは残念だけど
それだけでも人生って素晴らしいものって感じられるんだろうか
それだけでも生きることって素晴らしいものって感じられるんだろうか
生きるってなんだろうか
そんなことを考えていたオレに
2つの企業からメールが届いた
先週末受けた企業と
昨日受けた企業から
選考が落ちたというメール
悔しいな
でも、前へ進まなくちゃ
ばあちゃん、ごめん
まだいい報告はできそうにないや
もうちょっとだけ待っててな